『 WILLFUL 〜異大陸ミッドガルド ≪Past of Black Blood≫〜 』
WILLFUL 10−1
「船が、出ない?」
「そうなんだよ〜。いやぁ、三日前ぐらいまでなら行商船が出てたんだがね」
「……マジ?」
「マジも大マジだって。俺達だって困っちまってんだ。けどほら、グレンベルトの事件があったばかりだろ?
それで頭(カシラ)がちと様子見しようってことでな。アルカナ大陸への航海をストップさせたんだよ」
「出航再開とかの予定は?」
「今の所聞いちゃいねぇなぁ。行商船は少しは動けるだろうが、客船となるとなぁ……」
「そう、ですか……」
「というのが、あらましだ」
「あらましって……さいですか」
港近くの堤防に寄りかかりながら、ティミラはため息を吐いて空を仰いだ。
海から運ばれてくる潮風の香りは心地よいのだが、それ故に今の気分が酷く盛り下がる。
青く、どこまでも突き抜けるような晴天だというのに、港には停泊している船が大量である。
足止めを食らっているのだろうか、街に人々は溢れているが行き交っている様子には見えない。
「それでこんなに人がいるわけか」
「だろうな。何人かの船員に聞いてみたが、どこも答えは同じだ。当分の間出航は無いだろう」
――行商国家ドルクド。
名の示す通り、世界で最も多くの品物と量が取引されている街。
「国家」という名を取ってはいるが王制ではなく、あくまで「行商を行う組織」が取り仕切っている場所だ。
決定事項の全てが組織の相談で決めるので、「グレンベルト襲撃」の話が流れたとなれば今回の決定は当然と言えば当然だろう。
街に着き、すぐさま乗れる船を捜したというのにこれでは話が進まない。
「どうしよっか……アレインリシャのあるアルカナ大陸には、ここからしか船が出てないのに……」
「いっそ、ヤケになってユグドラシルで行く?」
堤防に腰掛け、海を眺めながらぼやくシランにルージュが冗談混じりの提案を出してるが、「行けたら良いんだけどねぇ」との暗い声色の返答に小さく肩をすくめる。
アルカナ大陸にあるのはアレインリシャだけではない。
その北の大地には、ダルムヘルンが存在しているのだ。
ただでさえダルムヘルンが危険だというのに、確信は無いにしろセエレとの繋がりもゼロではないのだ。
ヘタにこちらから動くには厳しいだろうし、目立つ神獣なんぞで行動したら何が起こるかわからない。
「参ったなぁ……足止めかなぁ……」
足をぶらぶらさせながら上を仰げば、カモメが小さな鳴き声を上げて飛び交う空が見えた。
どうしたものかとその場にいた全員が口を閉ざし、街のざわめきと堤防で砕ける波の音だけが静寂を埋めていく。
「んじゃあ、さ」
ちょいと片手を挙げ、声を出したのはティミラだった。
「ちょいと故郷に戻りたいんだけど、どう?」
「故郷って……ミッドガルドに?」
ルージュの問いにこくりと頷き返す。
「どうしてまた?」
「んー、この間セエレとやり合って大変な目にあったろ?」
その言葉にルージュが顔を曇らせる。
だがそれを苦笑と片手でなだめてティミラは続けた。
「で、命に別状は無いんだが、身体の方が色々と気がかりでね。故郷の医者に『暇が出来たら戻るから診て欲しい』って頼んだんだわ。だから、もし今進めない状態なら何か見つかる可能性も考えて、オレの大陸に足運んでもらえたらなって」
「医者? 悪い言い方するようだが、お前を診れる医者がいるのか?」
ブルーもティミラの身体が通常のそれとは違うのを承知している。
故郷でもそれを知っている人間は少ないと聞いていただけに、不安なことではあった。
「正確に言うと、医者というよりか『研究者』なんだけどな」
少し考えながら言葉を見つけ、ティミラは苦笑する。
「…………僕、アイツ嫌いなんだけど」
珍しくドスの低い声で漏らすルージュに、ブルーとシランは目を見開いた。
「驚いた……コイツがこんな風に嫌うとは。そいつ、何者だ?」
「さっき言った通りだ。研究者であり、“オレ”にとっちゃ医者だ」
「ティミラ……あのさ」
「ルージュ、気持ちは分かる。だが現実問題オレを診れるのはアイツだけだろ?」
何も言えない切り返しだったのか、ルージュは無言のまま、けれど憮然とした表情のまま眉の皺を増やす。
その様子にティミラも困惑の表情を見せ、ため息を付いてこう続けた。
「あんな、今はお前の呪印が効いてるから平気だろうけど、その箍(タガ)が外れちまったらシャレにならないのも分かってるだろ?」
「それは……」
その後に続く言葉をぐっと飲み込み、ルージュはうなだれる。
「でも、アイツはキミを……」
「……ルージュ……」
自分に向けられるく、くすぐったいような優しさ。
小さく、小さく漏らされた言葉にティミラもまたうなだれて首筋を掻き、
「ったくなぁ、もう……」
苦笑して、次にはその表情を引っ込め――
――ガンッ!!
「いだぁッ……あぁあ!?」
「男がグチグチ言うなっつの! 行くったら行く! 文句あるか!?」
「ぼっ、僕はキミを心配してるの! どうしてグーパンチをもらわなきゃいけないの!?」
「じゃかましいわ! グチグチ男へ、オレからの愛のプレゼントだ!」
「感じられない! 愛がちぃっとも感じられない!!」
「ほっほーう、感じられないか。なら感じられるまで殴られたいか。あん?」
ルージュは拳が振ってきた頭部をさすりつつ、ちょっと涙目になりながら口を尖らせぶつぶつと聞こえにくい愚痴をこぼす。
まだ言うか、この男は。
思わず、いや思いっきり分かりやすく吐き出したため息が、彼の機嫌の角度を余計斜めにしているようだ。
「ねぇ、ティミラ」
どんよりし始めた空気を割って、シランが顔だけを向けて声を発した。
「身体診てもらうことって、けっこう大事?」
まっすぐに見つめてくる金色の瞳を受け止めながら、ティミラは苦笑しながら頷く。
「あぁ。これからお前らと一緒に、ややこしい問題に体当たりかましに行くんだ。不安要素は取り除いておきたいし……」
そう言って相変わらず不満げなルージュを親指で指差して、
「あのやたら心配性なブーたれ男の足を引っ張る真似なんざしたくない」
言いながら傍に歩み寄り、しっかりと視線を合わせて続ける。
「迷惑も、かけたくない」
「……ティミラ」
はっきりと言われた言葉に、ルージュは返事も出来ずに名前だけ呟いて押し黙ってしまった。
「ルージュ」
シランの呼び声に、視線だけを向ける。
「って、ティミラ言ってるけど?」
穏やかな微笑が答えを促す。
傍で見上げているティミラも同じ心境のようで――
「……ごめん、少し我侭だったね」
苦笑してそう言うと、拳で額を小突かれた。
「でも、あのさ」
しつこいというのは分かっている。
それでも嫌なのだ。
あの男の、彼女に対する態度はどうにも。
「……しゃーないだろ」
少しの間を置いて、ふと唇を割って耳に言葉が届いた。
「オレはそういう生き物なんだから」
「……ティミラ……」
同じものを、三年前にも聞いた。
けれど、以前のような投げやりの色はまったく無い。
「それがキミだっつって、受け止めた馬鹿がいたはずなんだけどな」
少し呆れ口調だったけれど、そう言われてしまっては言い返せない。
ふぅと細く息を吐き、参ったなと笑いながら肩を竦めた。
「やれやれ。またユグドラシルに飛んで貰わないと」
「馬車じゃないぞって怒られそうだな」
そんな言葉にシランとブルーも思わず吹き出して笑った。
「それじゃあ、ミッドガルドに行こっか?」
「悪いな、シラン。寄り道させちまって」
「全然だよ、気にしないで。前に進めないなら違う方に曲がるのも手だしね」
にこりといつもの笑顔を見せ、シランは堤防から降りて空を見上げた。
「それじゃ、善は急げって言うし。すぱっと行っちゃおっか!」
漆黒の翼を蒼穹に広げ、四人を背に乗せたユグドラシルは大地を蹴り上げた。
風圧で大きく揺れ、若葉を散らす木々を見下ろしながら風を切って上昇していく。
「っあ〜〜、いつ飛んでもユグドラシルの背中は気持ち良いね〜」
『そう言ってもらえるなら光栄だ』
シランの明るい笑い声に低い声で答え、ユグドラシルは空を旋回し速度を上げる。
「悪いな、あっちこっち飛ばせちまって」
申し訳なさそうに背を撫でるティミラに、さらに速度を上げながら答えた。
『気になさるな。確かに我らの本分は戦闘かもしれんが、それが発揮されない方が幸せだ』
「そうかもな」
一瞬、わずかに表情をゆがめたティミラだったが、呟くと同時にそれは掻き消える。
誰もその変化には気付けなかった。
『さて、急ぎだろう? 少し飛ばす。振り落とされぬように……!』
そう言って翼をより大きく広げ、風を背に受け雲の間をすり抜けていく。
陽光を反射して輝く海面を見下ろせば、鳥達の影の中に一際大きな影が映っている。
「そう言えば、シランとブルーがちゃんとミッドガルドに行くのは初めてじゃない?」
「あぁ、そういやそうだな」
さも今気が付いたとティミラはポンと手のひらを打った。
「シランがわめいても、お前連れて行きたがらなかったな」
「しょうがねぇよ、治安が治安だったし。オレの連れってだけで確実に狙われてるぞ?」
「えらく人気者だったからな」
「嬉しくない追っかけもいやがったし……最悪だっての」
へっと口を歪ませ、ティミラは悪態をついた。
「んだけど、今は治安も割と良くなってるし……」
『素晴らしい……素晴らしいわ。これが私が求めた結果よ……!』
鼻を突く鉄のような異臭、手にこびり付いた肉片、目の前に溢れるおびただしい程の血液。
『これが研究の成果。私が作り上げた最高傑作……』
頭が痛くてたまらない。
酷い耳鳴りがする。
――この女は何を言っているんだ?
肩から伸びる、醜く歪んだ左腕。
そこから走り、半身を包む紋様。
背を突き破った歪な黒の羽。
『古代の力、深淵の畏怖、闇の美貌……私は全てを復活させたのよ!!』
――“これ”はなんだ?
『……あぁ、レヴィアンテ……』
――オレは一体、なんなんだ?
「あれ、何!?」
ティミラを現実に引き戻したのは、歓喜に近いシランの声だった。
何処も映していなかった眼前に広がっていたのは、ある一線を境に歪曲している海面と空。
色のない境界線が引かれているかのような、奇妙な風景がそこにあった。
「結界? いや、それとも違う感じがするが……」
ユグドラシルの背から身を乗り出し、ブルーはその空間の先を見つめる。
歪みの先にあるのだろう、空間と共にゆらめく一つの大陸が確認できた。
「そっか、ブルー達は空からも来たことないんだよね」
自国の治安を気にし、ティミラが迎えや来訪を許可していたのは今までルージュだけ。
以前に訪れた事はあったが、それはルージュの『ゲート』を使用しての事だ。
こうしてユグドラシルの背に乗り、空から舞い降りるのは初めてだと気付いた。
「じゃあ聞くが、あれは一体何なんだ?」
「解析不明」
「は?」
簡素で突っぱねるティミラにブルーは眉を潜める。
「分からないの?」
横から顔を覗かせたシランに、大きく息を吐きながら答えていく。
「あぁ。出現原因も不明だし、構成、形態もさっぱり。ぶっちゃければまったく未知の物」
「魔法……でもないな」
ブルーは自分で呟き、自分を否定する。
身体に感じるものは魔力ともまた違うし、それであるならルージュが答えを出しているはず。
『未知の物』という表現は出てこないだろう。
「あたし達に影響はあるの?」
「死んだりはしないが影響はあるな。方向感覚なくなるし、良い気分になるわけでもなし。あとは電波障害が酷いぐらいか。機械が片っ端からやられるからなぁ」
「でんぱ……しょうがい?」
首をかしげるシランに、ティミラはあぁと手をひらひら振るった。
そうだ、自分の大陸とシラン達の大陸は文化そのものが違うのだ。
こちらの事例を並べても分かりにくいのも当然だろう。
頭をぽりぽり掻き、ちとばかり思案を巡らせてから、
「あー要するに。この歪曲空間だと必ず迷子になっちまうし、人力じゃあ抜けるのは無理ってこと」
「なるほど〜。それがユグドラシルなら平気なの?」
「あぁ。非常に謎だけども平気なんだな、これが」
肩を竦めつつ言って、論より証拠とユグドラシルに「頼むわ」と一声かけた。
小さく首を縦に揺らした黒竜は、這うように飛んでいた狭間の無い歪曲の壁から一旦離れ、大きく旋回してからそこに向かって翼を広げる。
強くなる風の音が加速を知らせ、迫り来る歪曲空間が視界全体に広がり、
『突入する』
ユグドラシルの簡素な通達と同時に、その身体全体が見えない一線を越えた。
「……っ!」
境界に入り込んだ瞬間、身体にぶつかって来た奇妙な感覚にブルーは腕で顔を覆い、表情を歪ませた。
痛みはない。
けれど精神を直接撫でられるような、胸元にくすぶる煙たさが拭い切れない不快感となって全身を巡って行く。
何かが這いずり回るような感触が背筋に走り、肌がざわつき思わず身震いをした。
――気持ちが悪い……
内心ぼやき、この感覚が早く終わればとキツくまぶたを押し合わせた。
『なっ、何……これ?』
耳に飛び込んできたシランの声に、うっすらとブルーは目を開ける。
――!?
細められた金色の瞳に、そう長くは無い髪、華奢に見える体つき。
けれど、瞳が捉えた姿はシランではなかった。
風に舞い上がる金色の髪、シランと同い年のようだけれど、もう少しだけ大人びても見える少女。
『シルレア、本当に平気なんですか!?』
――違う。
風貌と、彼女の口から出た名前にそう確信する。
『シルレア』というのは、シランの王族としての実名。
その名を、呼びかけで自ら口にするのは奇妙なことだ。
この様な状況になるには、誰かがいなければならない。
そう、誰かが――
『平気でなければ連れて来ないだろう? なんだ、クリスは心配性だったのか』
少し困ったような口調。
どこかで聞いたことのある声。
金色の髪の少女を見やり彼女は驚き、そして笑った。
風で揺れる銀色の髪、左右対称に彩られた赤と青の瞳。
――その気持ち、忘れるな。
あの時の……
思い起こした記憶に触れた瞬間、視界は色を失っていった。
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