『 WILLFUL 〜休息 旅立ちへ〜

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  WILLFUL 9−6  


城門で立ち止まりながら、メスティエーレは大地との境目の空の色がオレンジに変わり始めていく様子を眺めていた。
出立直前になってルージュが、ケイル伝いに「送る」と言ってきたのを聞いたからだ。
詳細は分からなかったが「馬と比べたらへのぺっぺ」等と言っていた様子から、速さに自信はあるのだろう。
イクスもこれを承知し、先ほど入り口まで送ってくれた。
「どうだ、メスティ。誰か来たか?」
イクスを見送ってくると駆け出したケイルに付き添っていたアーガイルが背後から声をかける。
その後ろには、せわしない様子でかけてくる弟子の姿。
アーガイルの問いに「いいえ」と小さく首を横に振り、メスティエーレはため息を吐いた。
城門で行き来しているのは商人やその積荷の馬車、旅人であったりと普通の光景ばかり。
「ルージュくんったら……ウソだったら、エラやら尾ひれをつけて過去話を広めちゃうんだから」
「それは主殿があまりに可哀想なのでご勘弁願いたい」
意地悪く呟くメスティエーレに、聞き覚えのない声が答えてきた。
声の主を探し、メスティエーレがわずかに視線を動かした先。
「遅くなって申し訳なかった。主達がバタバタしていたので……」
肩までの、淡い紫の艶やかさを持つ黒髪にアメジストのような紫紺の瞳の男性がそこにいた。
見覚えのない男だ。
ないのだが、言葉の節々に引っかかる部分がある。
「あ、るじ……?」
ケイルの呆然とした呟きに男性はゆっくりと頷く。
「そうだ。主より、そなた達を送るよう仰せつかった」
「え……えっと、貴方が送ってくれるんですか?」
「そうだが?」
「でも……馬車も何も無いし、一体どうやって……」
「ちょっと待ってケイル……」
どんどん混乱していく少年の頭を撫で、メスティエーレは恐る恐る口を開いた。
「貴方……もしかして“ユグドラシル”かしら?」
出された名前に、ケイルとアーガイルは顔を見合わせる。
「お師匠様……何を言って?」
「そうだぞ、メスティ。風邪でも引いたか?」
「貴方達ねぇ……」
こめかみが痙攣するのを感じながらも、メスティエーレは男性に目をやりながら続ける。
「良い? 彼は“主”に頼まれて私達を送ると言うわ。そして、送ってくれると言ったのはルージュくん。これは分かるわよね?」
「はぁ……」
「ではなぞなぞです。ルージュくんを“主”と呼んでいたのはどこのどなた達だったかしら?」

――あ。

言葉にならない声を発し、二人は気がついた。
「神獣……そう言えば……!!」
そこでケイルは闘技場でのある場面を思い出した。
ルージュが名を呼んだだけで姿を現した漆黒の身体に紫紺の瞳の竜。
そして目の前に居るのは、黒髪に紫紺の瞳の男性。
「…………本当に、ユグドラシル……さん?」
「呼び捨てで構わぬよ、少年」
そう言ってふと微笑む男性――ユグドラシル。
いきなりの展開に付いていけないケイルとアーガイルは、事実が分かった現時点でも顔を見合わせる。
「すごいわ。貴方って人の姿にもなれるのね」
「我らには決まった姿があるわけではないからな。力と意思が強ければ、こういうことも可能だ」
「はぁ〜、そうなの。こういう新しい事が知れるっていうのはなんだか嬉しいわ」
あははうふふと談笑をする二人を横目に、ケイルとアーガイルはやっぱり首をかしげて顔を見合わせるだけだった。





「じゃあ、なんだ。ユグドラシルは普段は竜だけど、こういう風に違う姿にもなれるってのか?」
「そういうことだ。我らのいる場所は肉体に捕らわれているわけではない。意思の力が基準なのだよ」
「っほぉ〜、そうなんだ」
城門の傍を離れ、ユグドラシルはどんどん森の中を進んでいく。
あの人目の多い場所で元の竜形に戻っては騒ぎになると判断し、街から距離をとる事にしたのだ。
「それは皆が出来る事なんですか?」
「誰でもと言うわけではない。いや、誰もが出来る可能性があるが、やらない奴もいたりするのだ」
「へぇ……じゃあ、今はどうしてまた人間の姿に?」
「お師匠殿を迎えに行けと言われ、この方が話しやすいと思ってな。驚かせてすまなかった」
苦笑をするユグドラシルにケイルは首をぶんぶんと横に振る。
「まさかユグドラシルと話せるなんて……光栄です!」
目をきらきらと輝かせる少年の頭を撫で、ユグドラシルは背後を振り返った。
「ここなら森も開けているし街からの距離もある。少しお待ちを……」
三人に下がるよう手で合図をし、ユグドラシルは空を仰ぎ、瞳を閉じる。
木々の枝を揺らしていた風が流れを変え、葉を巻き込みながらユグドラシルに収束していく。
僅かの間、人間の姿が霞んだかと思った次の瞬間、そこには翼を羽ばたかせる黒竜がいた。
たった一回の瞬きの合間の変化に、ケイルは目を見張ると同時に「わぁ」と感嘆の声を漏らした。
『お師匠殿、アーガイル殿、ケイル、我が背に。すぐにも街に着くだろう』
下げられた首を伝い、三人は黒く大きな背にまたがる。
『では参ろうか。しっかり掴まるのだぞ?』
「振り落とさないで頂戴ね?」
『そうだな、地面に着弾していなければ拾いに行こう』

笑いながらふざけ半分に答え、黒き竜は大きな翼を夕空に広げ宙に舞い上がった――










「よ、娘! お帰りっつっても、ウチの城じゃないけどな」
ケイルの家から戻ってきたシラン達を出迎えたのは、嫌に笑顔なアシュレイ。
「……何、どうしたの?」
昼間に色々話した事を思うと、この高揚は不思議な気がしてならない。
怪訝そうに眉を潜めるシランだが、アシュレイの様子に変化は見られない。
多かれ少なかれショッキングな内容だったろうが、父の柔軟な精神もいよいよ限界が来たのか。
「……リルナ。親父の頭は平気?」
「えぇ。普段から一般の“普通”を逸脱してますが、これは正常範囲内かと……」
「おい二人ともちょっと待て」
酷く冷静に相談を始める二人に、少しだけ慌てたアシュレイの声が被る。
「なんでそんな冷たい事言うんだよ」
「何を言いますか。こちらは心配をしているんですよ?」
「そうだよ、親父。ただでさえ状況が状況だし……」
そこまで言って、シランは語尾を濁らせた。

そうだ。
こんな状況に、自分が大きく関わっているのだ。

自分が――

そんなシランの考えを察知したのか、大きな手が新緑の髪をゆっくりと撫でていく。
「そんなしょげる必要があるか」
全てを丸め込むような、低くて穏やかな声色。
見上げた背は高く、そして大きい。
「物事はなるようにしかならんさ。良い意味でも悪い意味でもな」
「……………」
「だから進め。時間は迷っても止まっちゃくれんし、後悔しても戻ったりしてれない」
見上げてくる金色の瞳が大きく見開かれたまま揺れるのを見つめ、アシュレイは口の端を吊り上げた。
「んじゃ、俺はそろそろ戻る。城を長く空けてもいられんしな」
その横をすり抜け、娘の後ろにいた三人に視線を向けてそれぞれの肩を叩いていく。
「親父……」
リルナを伴い、城門に向かう姿を見つめながらシランは小さく呟いた。
それに答えるかのように足を止め、頭だけ振り返り、アシュレイは言った。

「行って来い」

そうして踵を返し、手をひらひらさせて待機していた馬車に乗り込んでいく。
馬が喉を鳴らし、蹄を上げて馬車をゆっくりと走らせていく。
夕陽に包まれた街路に飲み込まれていく車輪の音を聞きながら、シラン達はそれを黙って見送っていた。

「……進め、か」

どれぐらいそうしていただろうか。
馬車の姿が消え、音が無くなっても尚視線を逸らさないまま、シランはポツリと口を開いた。
「進めるかな……」
「……進めるさ」
小さな、小さな呟きに返される答え。
「俺達がいる」
そして差し出される手。
「ブルー……」



『あと…これから色々なことがあると思うの。つらいこと、悲しいこと、楽しいこと、嬉しいこと……』
『いい? これだけは聞いて』
『目の前から逃げないでね』
『例えそれが、死にたいくらい辛い時でも、苦しい時でも。決して逃げないで』
『そして死のうとしないで』
『あなたにはあなたを信じ、共に生きて、歩いている仲間がいるんじゃない?』



――……お母さん。



しばらくその手を見つめていたシランだったが、ふと肩の息を抜き笑顔を見せた。
普段浮かべるような、明るい笑顔。
ウソのない、ごまかしのないあの笑顔。
差し出された手に触れ、そして握り締めてシランは大きく息を吸い込む。



あの本のこととか。
この瞳のこととか。
セエレのこととか。
今からのこととか。



全部、迷っても止まってくれないし、後悔しても戻らない。



「うん、行こう……!」



力強く繋いだその手は、確かに暖かかった。










――そしてさらに三日後。





「すっかり全快、と言ったところか?」
「はい。ありがとうございました、イクスおじさん」
「行く先も定まったか?」
「はい、ドルクドを経由してそこからアレインリシャに向かおうと思います」
「そうか。心配は、必要なさそうだな」
迷う事無く答えるシランに、イクスは安心したように大きく頷いた。
「道中、気をつけて。これから何がどうなるか、先が読めないからな」
「大丈夫です」
その言葉に合わせるように、ブルーとルージュ、ティミラの四人もそれぞれに肯定を口にする。
「頼もしいな。ドルクドまでの足は?」
「ルージュに頼もうかと思っています」
「あぁ、メスティ達も送っていたな。いずれ私も乗ってみたいなどと思ったが……」
「イクス様ならいつでも歓迎します」
「そうか? それはありがたい」
笑うイクスに、ルージュも気軽にそう答えた。
そうして一瞬、誰もが口を閉じる。

「それじゃあ、イクスおじさん」

そろそろとシランは手にした本を持ち直し、姿勢を正す。
ケイルの父親から譲り貰うことが出来た、創造戦争の本。
解読不能の文字からして、もしかしたら原本の可能性があると教えを受け、当初の目的地でもあったアレインリシャに向かう事に絞ったのだ。
色々気になる事はある。
だが、原点がここにあるのは間違いないのだ。
それを知らぬままでいるわけには、いかない。
アレインリシャに足を踏み入れなければそれは分からないのだから。
「武運を……シルレア王女よ」
その言葉に頷いて、シラン達はグレンベルト王城を後にした。






「ユグドラシル、待たせたね」
開けた森で足を折り、首をうな垂れていた竜は聞きなれた声に瞳を開いた。
『主、それに姫君達……出立か?』
首を擡げ、翼を広げる姿を見上げてシランは頷いた。
「うん。すぐに立てる?」
『問題無い』
低い声で答え、ユグドラシルは四人を背に乗せて翼を広げ、空に舞い上がった。
「ごめんね、面倒をかけちゃって」
背をさすりながら言う王女に、竜は喉を鳴らして笑った。
『気になさる事はない。我らは命を受けてこそだ。では……参ろう』

「目的地は行商国家ドルクド! よろしくね、ユグドラシル?」
『御意……!』

そうして翼で風を切り、身で雲を裂いて、竜は青い空に吸い込まれていった――


 
 
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