『 WILLFUL 〜異大陸ミッドガルド ≪Past of Black Blood≫〜

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  WILLFUL 10−3  


「や、なんでもね。じゃあ頼むな」
そう最後に締めくくり、ティミラは手にしていた小型の通信機のボタンを押して会話を打ち切った。
腰のポーチにそれをしまいこみながら、横で寝こけているルージュの顔を覗き込み苦笑する。
「ったく、世話焼かせやがってよ」
頬にかかっている髪を指先で払うと、少しくすぐったそうに表情を動いた。
「誰と話してたの?」
「あぁ、ちょいと迎え頼んだ」
背を預けている木の幹の反対側から、不思議そうに声をかけてきたシランに答える。
「一人担ぐなら楽だけど、二人抱えて目的地まではちっとキツいからな」
「ごめんね、手伝えたらいいんだけど……」
申し訳なさそうなシランに、ティミラは足を組みかえながら言った。
「世間的に見て、同年代の男を楽々背負える女なんざオレだけだって」
「そうかも、だけど……」
「っつうかお前の体格でブルーをひょいこら背負ってたら、なんか恐いって」
そう自分で言って、そんな光景を想像して笑い出してしまう。
「それもそっか」
そんなティミラの笑い声に同意して、シランも思わず吹き出してしまった。
「とりあえず迎え来るまで多少の時間はある。休んどけ」
「うん、ありがとう」
背を向けた方にいるティミラに見せれないながらも笑顔で言い、シランは風で揺れる木々の葉を仰いだ。
小波のように、ゆっくりと繰り返されるその静かな音。
よくカーレントディーテの城の屋上から海を眺め、この音を聞いていた事をふと思い出した。

――城の皆は元気かな。

毎日世話をしてくれてた侍女や、城を警備する兵士達などの顔が頭をよぎっていく。
脱走を繰り返しても、叱りながらも迎えてくれた皆。
旅立ちから未だ帰らぬも、きっと「王女らしい」と困り顔ながらもそう考えているだろうと思うと、ふと苦笑が漏れてしまう。
特に目立った会話も無い穏やかな時間が流れた後、森の木々の端にちらちらと人影が見えた。
「ティミラ」
名前だけのシランの呼びかけに、ティミラは何かに気付いたかのようにすぐにこちら側に顔を覗かせ、
「ここだ、ツヴァイ!」
その人物を確認し、大きく手を振りながら声を出す。
人影もそれに気付いたのか、一瞬足を止めた後にこちらに向かって駆け出してくる。
「待たせたか?」
「いや、平気だ。悪いな」
軽やかな足取りでそこに姿を現したのは、結った長い金色の髪と水色の瞳をした男。
見知らぬ人間ではあったが、ティミラのリアクションからするとかなり仲が良さそうに見える。
雰囲気からも、特に悪い感じはしないのだが。
「ティミラ、あの……」
「とりあえず紹介は後だ。こいつらを運じまおう」
そう言って現れた男にブルーを運ぶよう頼むティミラを、シランはただ黙って見つめていた。

彼から感じる、不思議な違和感を覚えながら――





「よ〜っこらせっと」
ティミラは肩に担いでいたルージュをベッドに落とし、楽な体勢に変えてやり法衣の胸元を開く。
「いやだなぁティミラ、まだ明るいよ? 気が早いんじゃ…」
「あっはははは。こりゃマズイな〜、ルージュの脳みそが重症みたいだ。頭かち割らないと治らないかなぁ?」
「…………すんませんです」
顔色が悪いと言うのにふざける姿にため息をつき、傍の小窓を開放する。
流れ込む木々の心地よい香りと新鮮な空気に、ルージュは目を閉じて大きく深呼吸をした。
道中、頭を下に向けられて担がれたため頭痛までも併発気味だ。
彼女の力なら男一人なんてへでもないのは承知だが、かといって普通に『抱き上げられる』のは、男として勘弁してほしかったのも本音なわけで。
おかげで運ばれてる最中の気分はどん底であったのだ。
「ずいぶん空気が澄んだね」
何度か呼吸を繰り返し、ルージュはポツリと呟いた。
そよ風に白地の、所々灰色の汚れが見えるカーテンが静かに揺れる。
「あぁ。『核』がこの森に戻って三年経つしな。だいぶ大地にも生命力が戻ってきてる」
窓から見える緑の葉は、青い空に手を伸ばすかのように果てなくその枝を茂らせている。
風が通り抜けるたびに葉を揺らし、海のような小波の音を響かせる木々。
それは大地と海、空の全てが繋がっているような、そんな想いを抱かせる光景。
「……やっと戻り始めたんだ」
空を見上げ、小波に耳を傾けながらティミラは小さく言葉をつむぐ。
「カンパニーが潰れて、あの計画が終わって……でもそれは“終わった”だけだ……」
暴走を始めた人間、それに耐え切れなくなった大地。
何もかもが回り始めてしまっていたけれど、まだ後戻りができる位置だった。
後戻りは――大地の癒えは、つい数年前に始まったばかりなのだ。
「これからが頑張り時だし……」
「ゆっくりで良いんだよ」
優しい声色。
「大切な事を見落とさないように。それに速さは必要無いと思う」
「……そうだな」
思わず浮かべているのであろう彼女の微笑みに、ルージュもつられて微笑んでしまう。
彼女がこんな表情を自然に浮かべるようになったのもここ数年のこと。
それは、彼にとって――いや、彼女を大事に思う者全てにとって良い事だった。
穏やかだけれど、確実な変化。

「ティミラ。コーヒー入ったぞ」

ふとリビングからかかった呼び声に、ティミラは「あぁ」と返答をする。
「それじゃあ、僕は少し寝るね」
安堵の表情を見せながら、ルージュは瞳を閉じて寝返りをうった。
あんなおふざけを言っては見たけれど、やはりまだ本調子とは言えない。
自分の不甲斐なさに、隠れるようにため息を吐くとそっとシーツが掛けられた。
少しだけ顔を上げると、覗き込むように見つめていた翡翠の瞳と視線がかち合った。
なぜだか気まずくて思わず目をそらすと、ぷっと吹き出す声が聞こえた。
「身体壊すのは恥ずかしいことじゃないだろ」
苦笑しながら言われた言葉にルージュが目を丸くしている間に、ティミラは肩をポンポンと軽く叩いて傍を離れた。
「おやすみ」
そう最後に付け足して、ティミラは静かに扉を閉める。
「ルージュの様子はどうだ?」
「あぁ。薬やったし、寝てれば夕方にはすっきりするだろ」
背後からかけられた声に振り向きながら、ティミラはツヴァイが差し出したカップを受け取った。
「しかし珍しいな。ここにくる道中で体調を崩すなど」
「そこはオレも引っかかるんだけどな。確かにあの歪みを通過するのは気分良くないけど……」
今までは無かったのだ、こんな事は。
それに双子のみが体調を崩すのも妙な気もする。
「三半規管の調子でも悪いんか……っと」
一口コーヒーを飲んだところで、別の部屋からシランが出てきた。
ドアの閉まる一瞬の隙間に、ブルーの寝込んでいるであろうベッドが見えた。
「ブルーくんはどうだ?」
「はい、今はもう寝てるみたい」
ツヴァイに声をかけられ、シランは普段では見せない少し緊張したような表情で笑った。
「ほい。とりあえずシランもゆっくり休んどけ」
「あ、ありがとう」
ティミラから差し出された紅茶を受け取り、その香りを感じパッと顔を上げる。
「これ、りんご?」
「そ、アップルティー。パックのだけど、それなりに香りはするだろ?」
「パック?」
「あー、そうだなぁ。お湯につけるだけで簡単に紅茶が作れる! というこっちの大陸のものだ」
「へ〜すご〜い!! それ、欲しいな!」
「色々落ち着いたら、今度持ってってやるよ」
「やった、ありがとう!!」
すっかり普段の感じを取り戻したシランに安堵し、ティミラは笑みを浮かべて傍のイスに腰掛けた。
「で、シランには紹介してなかったよな」
そう親指でツヴァイを指すと、シランは「あ」と唇からカップを放した。
「そう、あのっ……ブルーを運んでくれて、ありがとうございます」
「構わない。ティミラの友達だろう? 当然だ」
ツヴァイの言葉にティミラが「ダチじゃない」という風な顔をすると、シランも思わず苦笑した。
「にしても、ずいぶん緊張してねぇか?」
背もたれに体重をかけ、足をテーブルに引っ掛ける――決して行儀の良くない体勢を取りながら、ティミラはシランを見上げた。
苦笑を止め、意味が分からないと首を傾げるシランにティミラはさらに付け足した。
「ツヴァイの顔、あんま見てねぇだろ?」
図星だったのだろう、引きつった口元がそれを物語っている。
しばらくカップの紅茶とにらめっこをしていたシランが、ゆっくりと金色の瞳をツヴァイに向けた。
「あの、気分悪くしたらごめんなさい」
気遣いの言葉にツヴァイは笑みで答え、先を促す。
「えっと……その……なんて言ったらいいか分からないんだけど」
言葉を捜しながら、シランはカップとツヴァイを交互に見やりながらなんとか質問の言葉を見つける。
「えーーっと……ツヴァイさんは人じゃなかったり、しますか?」
えへっと笑みを浮かべてはいるが、やはりどこか引きつったような表情。
いや、聞きたい内容を考えれば誰もが「相手に悪いのでは?」と思うのは当然だろう。
ツヴァイはそれを見通した上で、シランに笑顔を見せる。
「あぁそうだ、俺は人ではない。もっと正確に言えば“生物”でもない」
ある程度想像していた返答だったが、微妙に含まれるニュアンスの違いにシランは眉を潜めた。
「キチンと自己紹介をしよう。とりあえず、座ってくつろいだ方がいい」
不思議そうに見上げるシランの背を押し、ティミラの横のイスを引いてやる。
素直に腰掛けたシランの正面に座り、ツヴァイは一息ついて視線を合わせた。
「改めまして、ツヴァイだ。こんなごちゃっとした家だが、ようこそ来てくれた」
「おい、オレの家だぞ?」
「気にするな」
「気にするな、じゃねぇよ! 大体掃除はツヴァイがしてるんじゃん」
「それはお前が掃除しないからだ。放っておくとどんどん工具やら部品やらが広がりだな…」
「そうそう、勝手に掃除されっから工具がよく行方不明になってよ。また工具の準備から始まり…」
「俺は片付けているんだ。それをまた『探す』とか言って散らかして…」
「散らかしてねぇっての!」
「いいや、散らかしている。ものすごい勢いで散らかって行くぞ?」
「いいじゃんかよ、やりやすいんだから!」
「そういう物事の考えは止めろと。もっと効率良くだな……」
目の前で一気に繰り広げられる口喧嘩に、シランは金色の瞳を大きく見開いた。
次々に吐き出されるティミラの言い訳を華麗にスルーしていくツヴァイ。
「……親子喧嘩?」
一人ポツリと呟いて、不思議とすんなり納得してしまった。
そうだ、この二人のやり取りは家族のソレだ。
どうやらティミラは、少しばかりこのツヴァイという青年に頭が上がらないように見える。
上手く言い包められそうになっては苦しい言い訳をし、そしてまた丸め込まれそうになり。
父と娘――いや、兄と妹に近いのではないだろうか。
徐々に表情を苦しくさせていくティミラと、対照的に優雅にコーヒーを飲みながら口を開くツヴァイ。
どうみてもティミラに勝ち目がないのは分かりきっているのに――
「……っふ、あははっ!」
普段のティミラからは想像もつかない状況に、シランは笑いを堪える事が出来ずに噴出した。
手で口元を抑え、なんとか止めようとするがどうにも上手くいかない。
「おい、何でシランが笑うんだよ……」
ばつが悪そうに肩を叩くティミラに、シランはなんでもないと手を振って答える。
「なんでもなきゃ笑わないだろー? 何なんだよ?」
「うぅん、何ていうか……っふふ、何でもないよ」

――ツヴァイはティミラの家族なんだ。

思わず席まで立ち上がり口論をしていたティミラを見て、そう思った。
ムキになり、けれど勝てずに丸め込まれそうになって。
でもそれが悔しくてなんとか噛み付こうとして。
ティミラは、以前父に色々と文句をつけていた自分のようだった。
「ツヴァイさん」
しれっとした表情でティミラを見上げていたツヴァイが、自分に目を向けて首を傾げる。
「あたしも自己紹介、してなかったと思って」
そう言ってイスに座りなおし、姿勢を正してツヴァイと向き合った。
「こちらからも改めて。魔法大国カーレントディーテ第一王女、シルレア=L=シ=ルグリアと申します。手短に『シラン』って呼んでください」
笑みを浮かべ会釈をする少女に、ツヴァイも会釈を返し先を促した。
「ティミラからも色々聞いてると思いますが、いつも彼女にはお世話になっています」
「こちらこそ、お邪魔ばかりで多大なご迷惑をおかけし、申し訳ない」
「とんでもないです。ティミラといるとすごく楽しいですから!」
そう言って笑顔を見せるシラン。
それはウソのない、本心であると思わせる力のある明るいもの。
「そうか。そう言ってもらえると嬉しい」
ティミラから聞いていた通り、この王女はとても純粋なのだと感じた。
真っ直ぐに向き合い、人を受け入れてくれる。

――トアレ、この子は良い友達に恵まれたよ。

目の前で一緒に笑いながら話し込んでいる二人を見つめ、ツヴァイはそこに誰かいるかのように笑いかける。
それは笑顔でありながら、少し指先が触れただけで崩れそうなほどの脆さを含んでいた。

――もう二度と、この子の幸せが奪われる事の無いよう……

それは傲慢で、自分勝手な願いなのかもしれない。
拭い切れない罪悪感から逃れるための、逃亡手段なのかもしれない。
それでも確かに願っているのだ。
この子を『ティミラ』として、受け止め、認め、共に生きてくれる仲間がいてくれる事を。
そして、その幸せが続く事を。
そのためならば自らを失ったとしても構わない。

我が身を惜しむことなど、許されるはずが無いのだから――

「……ヴァイ、ツヴァイ!?」
「えっ? あ……あぁ、どうした?」
突然こちらを覗き込むティミラの顔が眼前に現れ、ツヴァイは思わず身を引いてしまった。
「そりゃこっちのセリフだって。何ボーっとしてんだよ」
いつの間に持ってきたのか、コーヒーポットを手にやれやれと言った風にぼやくティミラ。
自分のカップにコーヒーを注ぎ、ツヴァイの手にしているマグを覗き込んでポットを傾ける。
「お前の自己紹介、まだ途中だろ?」
言いながら空のマグにコーヒーを注ぎ、シュガーポットを傍に置いて席についた。
横にいたシランが少し心配そうに首をかしげていたのに気が付き、微笑むことでそれを取り除く。
「あーっと、何まで話したか……そうだ、シランの自己紹介は聞いたんだな」
その言葉に頷くシランの表情は少し前までと違い、ずいぶんと緊張が取れて見えた。
それに安心し、そして先ほど出された疑問を思い出して目を伏せた。
「さっき、『人じゃない』と言ってたな。どうしてそう思うんだ?」
「それは、なんと言うか……」
宙に視線を泳がせながら、シランは言葉を選びながら続ける。
「不思議な感じがしたんです。以前ティミラの大陸の人を見たことがあるけれど、その人達とも違う感じで……」
「ほぅ、それは初耳だ」
ツヴァイの奇妙とも思える返答に、シランだけでなくティミラまでもが首を傾げる。
「初耳、ですか?」
「そらどういう意味だ?」
二人の表情に気付き、マグカップを傾けながらツヴァイは言った。
「ルージュでさえ俺には気付かなかったぞ?」
その言葉にティミラだけが眉を跳ね上げ、反応した。
「そうだ……」
言われてみて、ティミラは以前の記憶を引っ張り上げる。
この大陸の人間はシラン達とは似通ったようで違う性質を持ち、交わることの無い文化を形成してきた。
それは『魔力』という、向こうでは当たり前の存在の有無まで作り上げている。
故に、ミッドガルドの人間は『魔力』を持たない。
それはルージュ達から言わせれば「魔力を感じない」ということらしい。
だから初めて二人を会わせた時も、ルージュはツヴァイに対して何の警戒も抱いてなかった。
ツヴァイもここの大陸の人間と同様に『魔力』を持っていないからだ。

『ツヴァイだ。よろしく』

にこやかに差し出された手を握り返し、そこでルージュは初めて気が付いたのだ。
人とは微妙に異なる皮膚の感覚。
そして、触れてやっと気付いた「人間」との違い。

『あなたは……?』

そこでルージュが酷く驚いた顔をしていたのは、いまだに鮮明に覚えている。
赤い瞳をこれでもかと限界まで見開いたあの表情に笑ってしまったはずだ。
けれど、今回目を見開いたのはこちらの側になってしまったようだ。
ルージュが気付かなかったということは、「魔力」ではない何かで判断したということになる。
確かシランは魔術が使えないはずだ。
それは今まで一緒に行動してきて良く分かっている。
戦闘でも私生活でも、魔術を使うのはもっぱらルージュやブルーだった。
以前聞いた話では、カーレントディーテの王族は魔力が強いとのこと。
だがその力が無いと言うことは、嫌な言い方をしてしまうと彼女が異端の存在ということになる。
「お前、どうやって気付いたんだ?」
魔力を持たぬが故に、何か別のものを持っていると言う他ないと思われるが――
「んんー、なんとなく?」
にこやかに、ヘラっと言い切られてティミラは拍子抜けしたように肩を落とす。
「うん、そういう風な答えは想像がついていたけどさ」
いざ真正面から返されると、こちらもどう言っていいのか詰まるところなのだが。
「例えるなら……無いって感じかなぁ」
「無い?」
ツヴァイが興味深そうに身を乗り出すと、シランは少し恐縮したように続けた。
「見えてるんだけど触れない、みたいな感じというか……いえ、ツヴァイさんには触れるけど……」
「いや、気にすることは無い。そうか、見えるけど、か」
ふむふむと面白そうに頷くツヴァイ。
「まぁ、言うなればそういう事に近いのかもしれないな」
「え、じゃあ幽霊……とか?」
的が外れたようなシランの発言に噴出しながら手を横に振る。
「うーん、だがそれもある意味近いのかもしれないな」
さらに追加された言葉に、シランの頭の中はハテナで満杯になりそうだった。
事情が分かっているティミラは、ツヴァイに言葉に「あぁ」などと頷いているのだが。
「どゆこと?」
いよいよ目にまでハテナを浮かべ出したシランに、ツヴァイは笑いをこらえながら両手首を差し出した。
その部分は肘辺りまで黒いリストバンドに覆われている。
ふと、ティミラの二の腕にある紋様を思い出し、シランは首を傾げた。
ティミラと『同じ』であるならば、今まさに感じている違和感は無いはずだ。
と言うことは、ティミラと彼は『別』ということになるのだが。
「あの……?」
シランの言葉を合図にしてか、ツヴァイはおもむろにリストバンドを外し、再びシランの眼前にその腕をさらけ出す。

「!?」

そこには穴があった。
それぞれの手首辺りに四つ、二つずつ縦に二列並ぶようにそこに小さな穴があった。
小指が入るかどうか程度のサイズだが、それは明らかに人として異質なもの。
「シランが言った通り、俺は人間ではない」
さすがにこれは想像の範囲外だったのだろう。
言葉を失っていたシランを気遣いながら、ツヴァイは静かに言った。
「俺はヒューマノイド。言わば、人の形をした機械だ」













太陽が一番高い場所に昇る時刻。
この大陸ミッドガルドで最も大きな都市の一角に、酷く古びた街がある。
崩壊しかけているかのような風貌の街並みだが、そこに行き交う人々の表情は明るい。
壁に穴の空いた教会からは子ども達の笑い声が響き、それを見守る母達もまた笑みに溢れている。
働く男達も生き生きとした様子で腕を振るっている。
決して裕福には見えないけれど、充実した日々がそこには溢れていた。
そんな街の一角に、より汚さの目立つ工場があった。
室内に広がる金属を削る甲高い音や、叩くような鈍い音に混じって、男達の野太い声が飛び交っている。
粉が舞っているのか、ライトに照らされる一筋の光の道には埃のようなものが漂って見える。
「おい! タガナんトコの修理はどうなってんだ!?」
様々な音が交じり合う中で、一際大きな声が響いた。
男たちの中でも最も屈強そうな壮年の男がスパナを手に声を荒げた。
「今やってますよ! さっきから人手が足らないって言ってるじゃないっすか!」
怒鳴り声を受けた青年が、困ったように声だけで答えている。
手は自らの受け持ちのものであろう機械を弄っている途中だ。
「そりゃ分かってんだよ。だがアユハからも色々預けられちまったから、そっち早く上げねぇとマズイだろ?」
「アユハは急がなくても良いって言ってたんじゃ…」
「ばっか野郎が!」
ゴヅッと拳を頭に振り落とされ、青年はうげっと声を上げて工具を床に落としてしまった。
「痛いじゃないっすか!?」
「急がなくていいからゆっくりじゃ、商売上がったりだろうが!!」
「そりゃそうだけど、ティミラも居ないってのに終わるわけ無いじゃないっすか!!」
「確かにティミラは大事な戦力だ! だが、頼ってばかりいちゃあ男のメンツに関わるだろ? だからお前はいつまでたってもルージュに勝てないんだ!」
「っぐ……そいつの名前は出さないでくださいよ……」
男が出した人名を聞き、青年はふんと顔を背け仕事に戻り始める。
やれやれとため息を吐き、男は青年の横に座り込んで肩に腕を回した。
「あのよ、悪い事は言わねぇから諦めろって。俺はよく見てるからわかるが、あの二人にお前が割って入れるわけねぇよ」
「分かんないじゃないっすか!」
「分かるっての! 少なくともティミラを『頼り』にしてる時点で、そんな風に見てもらえると思ってんのか?」
「うっぐぐぐ……」
ぐさぐさと見えない槍やナイフが胸に突き刺さる音を青年は自覚しながらも、それを持ち直すことかできずに再び工具を床に落とす。
「ったくよぉ、さっさと諦めろっての」
床に転がっていく工具を青年の手に押し込め、男が腰を上げ振り向くとドアに見慣れぬ人影が見えた。
この工場に似合わぬラフな格好に、着流した白衣。
二十代後半だろうか、紺色の髪の隙間から右目にはめ込んでいるモノクルが部屋のライトを反射して光った。
整った顔立ちと涼しげな表情は、この工場の中でも酷く浮いて見える。
「キリュウ……」
苦々しく名を呟くと、それに答えるかのように白衣の男が傍に歩み寄ってきた。
「相変わらず息苦しい場所だな、グスタフ」
「なら出て行け。テメェには不釣合いだ」
口元を手で隠すキリュウに、男――グスタフはケッと手を振って嫌味をあらわにする。
けれどそんなものまるで見えていないかのようにキリュウは用件を告げた。
「アイツはどこにいる?」
直接名前を出したわけではない。
しかしこの男が望む人物がすぐに思い当たり、グスタフは顔を濁した。
「……ティミラならいねぇ。一ヶ月ともーちょい前か。ツヴァイから連絡貰って、しばらく来ないってな」
「そいつから連絡を貰ったんだ。一度戻る、と。だからここに来てみたんだが……」
グスタフのリアクションからして、目的の人物はいないのだろう。
無駄足だったと判断し、キリュウは何も言わずに背を向けてドアに向かった。
「おい、一体何のようだ!?」
さっさと立ち去ろうとするキリュウに向かい、グスタフは声を張り上げた。
キリュウはノブに伸ばしかけていた手を止めて顔だけで振り返り、
「知る必要は無い」
そう短く一言だけ事実を告げて、キリュウは静かにドアを潜り抜けていった。
「っけ! 相変わらずイケ好かねぇ野郎だ……」
作業着のポケットからタバコを漁りだし、乱暴にジッポに火を灯して一息吸い込む。
口の中に広がる苦味にふぅと一息つき、グスタフはキリュウが消えたドアを見つめた。
「ったく、なんだってんだ……」
もう一息ついたところで背後からの呼びかけに気付き、グスタフは工場に意識を集中させた。
 
 
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