『 WILLFUL 〜異大陸ミッドガルド ≪Past of Black Blood≫〜

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  WILLFUL 10−6  


「うわぁ! クルマって速いねー!」
「シラン、あんまりはしゃぐんじゃねぇぞ!」
太陽の光を反射して黒く光る車体から身を乗り出すシランに、ティミラはハンドルを握ったまま声を荒げた。
オープンカー故に風で声がかき消されかけてて、頷くシランに真意が伝わってるかどうかティミラは正直不安を感じるのだが。
それもそのはず、ラズィ・ヤーナにて生まれて初めて「車」を目にし、そしてそれに乗っているという現実がシランのテンションをかなり高くしているらしい。
後部座席の中央で、左右にブルーとツヴァイがいる席だから騒ぎも少ないだろうと思っていたのだが、360度に広がる世界を前にしてはそんな事は抑止力にならないようだ。
前に座っているティミラとルージュに背を向けて車体から身を乗り出し、速さと比例して流れていく風景をきょろきょろしながら眺めている。
「シランに便乗するわけじゃないが、確かに速いな」
腕を組みながら周りを眺め、ブルーは普段より大きめな声量でティミラに聞いた。
「これも機械なんだろ。何を動力にして動いているんだ?」
「エンジン。そっちの大陸に馬車あんだろ? 馬の代わりに車輪を動かす機械が中に入ってんだ」
「中ってことはクルマより小さいんだよね?」
運転席のティミラとその隣、助手席に座っているルージュの間から身体を割り込ませ、シランは興味津々と言った様子だ。
「あぁ。装置自体は車体の真ん中辺りにある。これを動力にして実際に車を動かしてるのは前の方の機械だ」
「へぇ……すごいなぁ」
自分たちの故郷では想像もつかない構造に、シランはただただ感心しか出来なかった。
まだティミラがこちらの大陸に慣れていなかった頃、魔法やら何やらを見るたびに驚いていた彼女の気持ちがなんとなく理解できたような気がする。
昨日初めて招かれたティミラの家の中にでさえ、驚く事がたくさんあったのだ。
取っ手を捻るだけで火がつく物、ボタン一つで映像が映る大きな四角い箱や遠くの人間と簡単に話すことが出来る物など、こちらの大陸では想像もつかないことが、至極当たり前に存在しているという事実。
この車という物が走っているこの地面でさえ、自分達の街などで見てきた道とはまた違い、綺麗に整えられて振動も感じる事無く走行しているのだ。
この大陸と自分達の大陸にはここまでの違いがあるとは想像もしていなかった。
辺りに広がる少し殺風景な大地と遠くの森、出発してきたラズィ・ヤーナの岸壁の他、遠くに街も眺めることが出来る。
ふとその流れの中、所々点在している細い支柱のような物が目に入ってきた。
「あれは?」
短い距離ではないが、一定間隔で立ち並んでいるそれを指差してブルーは首を傾げる。
「あぁ、あれは魔獣が嫌う音波を出す装置」
「魔獣? ここにもモンスターがいるのか?」
このような未知に近い場所でありながら、自分達の大陸と似た単語が出たことに少し驚く。
「生態は似てる。が、こっちのは野生動物に近いっつーか……やたらめったら人の住処には出てこねぇ。人間側としても遭遇しても倒すのがめんどくさいから、『こっち来るなよー』って感じで向こうが嫌う物を街とか道路に置いて接触を避けてんだ」
「こっちのモンスターとはずいぶん扱いが違うんだな」
言われて、ティミラは「そーだなー」とドアに肘をかけ、顎を乗せて頷く。
「ここじゃ、魔獣よか人間の方が問題だしな」
呟いた瞬間に一際強く吹いた風。
「なんだって?」
空気にさえぎられ、何も聞こえなかったらしいブルーに「別に」とだけ答え、ティミラはハンドルを握り直した。
「もーちょいで着くから、少し飛ばすぞー」
その瞬間、楽しそうに盛り上がるシランや小さく返事をするブルーとは対照的に、今まで黙っていたルージュの表情が少し歪んだのをティミラは見逃さなかった。
思わず声をかけようとして、名前の一文字目を言いかけてから息を止める。
今言っても、彼が素直に考えを改めることなど出来ないのは重々承知ではないか。
徐々に辺りの地面の色が暗い色に変わり始め、白や黒、様々な色合いの建物が並ぶ街並みが近づいてくる。
首都、ミッドガルドはもうすぐだ。






「おい、そっちの終わったかぁ?」
閉じきった工場内に響き渡る機械の振動音や男達の怒号中、グスタフの声に青年が少し焦った様子で手を上げながら叫んだ。
「親方ぁ、一つだけ配線が分かんねぇのがあるんすけど!」
「んだよ、まだあんのか!?」
そう言われ、グスタフは頭をぼりぼりと掻きながら青年の元に足を進めた。
「これなんすけど……」
「んん? お、コイツはまじぃな」
ぼやきながら青年をどかし、蓋の開いた機械の前にしゃがみこんで中を覗く。
焼けきれた配線を指で摘み上げ、目を細めてそれの種類を確認する。
「なんか偉い古くないっすか?」
「二代前の奴だ。しかもマイナーだなこりゃっと……おぉい、お前ら!!」
やれやれと腰を上げ、手を叩きながら工場内を揺るがすような大声を張り上げる。
全員の視線が集まったのを確認し、手でこちらに集まるよう促して配線部分の口を広げる機械を足で小突いてグスタフは続けた。
「コイツ見たことある奴いるか? 配線もダメになっちまってんだがな」
その言葉に作業していた男達が顔を見合わせながら口々に否定を吐き出し、首を横に振る。
やっぱりかと半分諦めたようにグスタフも頷き、それぞれの持ち場に戻るよう手で合図をした瞬間――

――お前ら、ツヴァイと一緒に待っててくれ。
――中入っちゃいけないの?
――工場だから臭いとかキツいし。顔出すだけだからよ。

鉄の扉の隙間から聞こえた微かな会話。
それに全員が再び目を見合わせ、扉に視線を向けると同時にドアがノックも無く開け放たれた。
それも激しい音を立てて、酷く乱暴に。
「おーっす、グスタフ。生きてっかー?」
最初に聞こえたのは声、次に見えたのはドアを蹴り開けたらしい足。
そしてお目見えしたのは、いきなり連絡を途絶えさせ約一ヶ月も姿を消していたこの職場の功労者と、その恋人。
「ティミラにルージュじゃねぇか!」
グスタフが声を張り上げたのを合図に、男達は一様に笑顔を浮かべて二人の方を取り囲み始めた。
親しげにティミラと笑いあう者もいれば、ルージュの背をはたく男もいて。
室内は一気ににぎやかなものへと変化していった。
「ティミラ……やっぱりルージュと一緒か……」
「いちいちウジウジしてんじゃねぇよ、バカたれが」
少し切なそうに呟く一人の青年の頭を手のひらで押さえ、グスタフは手でティミラに傍に来るよう合図を出す。
「なんだよ」
「久しいのにいきなりだが。これ、分かるか?」
親指が示した先の機械を見つめ、ティミラは少しの間「ん?」と眉を潜めて蓋の中を覗き込み、何かに気付いたように顔を上げた。
「またずいぶんと年寄り持って来たな」
「おう。で、直せるか?」
「あぁ。換えのパーツはある……って、オレ仕事しに来たわけじゃねぇよ」
機械に手をかけながら立ち上がり渋る彼女に、グスタフは腕を組んで肩眉を跳ね上げた。
「んだよ、顔出しだけってか? お前以外分かんねぇんだがな」
「コレ、何人かに教えた気がするぞ。用事があるからオレ、パス」
「そんな事言わずにさ、ティミラ」
横から両手を合わせる青年を視線だけで見つめ、ティミラは盛大なため息を吐き出し、
「お前にも教えた気がすんだけど。忘れたのか?」
「い……いや、こんな古いのなかなか来ないしよぉ」
口ごもる青年の頭を小突き、男たちに囲まれていたルージュに向かって声を張り上げる。
「アイツらに少し待たせるって伝えてくれねぇか? あと戻るときにオレの工具頼むわ」
手を振り返すことで返答し、ルージュは男たちの間を抜けて外に出て行った。
「なんだよティミラ。工具なら俺が取りにいったのに」
残念そうな青年を見上げ、ティミラは訝しげに眉を潜める。
「ついでに頼み事しただけだぞ。何言ってんだ、お前」
「そりゃそうだけどさぁ。俺も頼りにして欲しいっつーか」
「だったらもっと色々覚えろ。オレに頼んじゃねぇよ」
「た……」

『少なくともティミラを『頼り』にしてる時点で、そんな風に見てもらえると思ってんのか?』

まさに今、ティミラから吐き出された言葉に数日前のグスタフの言葉を思い出して、青年は思いっきり肩を落としため息をついた。
「俺、やっぱり頼ってるのか?」
「技術うんぬんは抜きにして、お前から仕事を回されることは多いけどな?」
図星を言われて青年が黙り込むと、ルージュが工具箱を片手に小走りで駆け寄ってきた。
それを受け取って慣れた様子で仕事を始めるティミラと、その傍に座りこみ、これまた慣れた様子で工具の手渡しなどを手伝うルージュを見て、青年はいよいよ本格的に哀愁を漂わせて頭を垂れた。
「だから言ったろ。諦めろって」
そう小さい声でグスタフに囁かれ、青年はしょんぼりとした様子でその場を見つめる事になってしまった。
しばらくの間、機械の金属と工具が擦れる音などが静かに響いていた後。
「……ぃよっし、と。これで動くだろ」
入れ替えた配線を取り出し、蓋を閉めて奥の電源を入れると中の何かが音を立てて動き出すのが分かった。
全員が感嘆の声をあげる中、ティミラはやれやれと肩を叩き工具の片付けを始める。
「そういや誰か外にいるのか? 何か言いに行ってたけどよ」
「はい、兄と友達が…」
「バカッ、言うなルージュ!」
集まっていた男の言葉にいたって普通な返答をしたルージュの頭をティミラが握りこぶしでド突き上げる。
さすがに何もマズイ事はしていないだろうと怪訝そうに首を傾げるルージュだったが、

「ティミラの友達か!?」
「女の子かよオイ!!」
「っつかお前の双子の兄貴、すげぇ見たかったんだよな!!」
「外にいるんだな!? お前ら行こうぜ!!」

一瞬の合間に男達に詰め寄られ、口々に好き好きな言葉を告げられ。
一斉に扉に向かって走り出した大人数を呆然としながら見送った後、ルージュは残っていたティミラとグスタフに視線を向け、
「えーっと……僕、何かいけない事しました?」
なんてわずかに残った正常心で笑ってみたものの、二人から返されたのはそれはもう大きな大きなため息だけだったわけで。

――あぁ、みんな。どうしたんだ?
――よぉツヴァイ! あ、お前がルージュの兄貴だな?
――ん? お前ら誰…
――おぉ! さすが双子、同じ顔だなぁ!
――目の色が違うんだな。お前さんは青いのか。
――こっちはまた可愛らしいお嬢ちゃんで……ティミラの友達か?
――そうですけど、皆さんは?
――俺達もダチみたいなもんさ! よっと……さすがに小柄で軽いなぁ!
――気安くシランに触るな。それよりお前達は誰だ?
――なんだよ、ルージュと違ってずいぶん刺々しいんだな。
――指図される覚えは無い。名乗れと言って……っうわ!!
――いいじゃねぇか! 仲良くしようぜ!!
――首が絞まッ……離せ!!

開け放たれたドアから流れ込んでくる叫び声や笑い声に、ルージュは呆気に取られ、ティミラとグスタフはやれやれと苦笑いをしながら再びため息を吐き出したのだった。



ティミラの仲間達がそれぞれの仕事に戻り、騒ぎが一段落した様子の一行。
「ったく、あいつら一体何なんだ!」
乱れたジャージを羽織りなおしながら、ブルーは憤慨してティミラに食って掛かった。
撫でまわされたせいか、銀の髪も乱れ気味である。
その後ろでは、工場に戻っていく男達を笑顔で見送っているシランがいる。
「急に囲まれたかと思ったらわしわし触られるし……たまったモンじゃない!」
「悪ぃ悪ぃ。オレのダチだなんて珍しいから、あいつらいつもあーやって取り囲んじまうんだよ」
片手で謝罪を表しながら肩を叩き、ティミラも困ったように笑うしか出来なかった。
普段交友関係が限られている自分がこうして仲間内でもある職場に知人を連れてくるなど、この数年でも片手で足りるほどしかないのだ。
連れてきたとしても、それは仲間内でも見知った相手だったりで、今まで話題に上れど姿を見せなかった友人らが来たと言うことで、どうやら彼らも盛り上がってしまったらしい。
あのようになることが容易に想像できていたから、ティミラはあえてシラン達を外で待たせていたのだが。
「だぁれかさんがポロっと漏らしちまうからよぉ」
「いや、だってあんなに盛り上がるなんて思わなくて……」
なんだか自分のせいになりそうで――口にしたのは事実だが――、ルージュは困惑したように呟く。
「まぁ、お前らしい知り合いだということはよぉく身に染みた」
落ち着いてきたのか、髪を結い直しながら普段の声色に戻り始めたブルーは一息ついて続ける。
「で、首都に着いたはいいがこれからどうするんだ?」
「オレはちょっと野暮用があんだ。だからお前達は居住区で時間潰してもらうつもり」
「道案内は俺がする。向こうならシラン達にも楽しめる場所が多いだろうしな」
「居住区って?」
シランの問いに、ティミラは後方の白い建物が立ち並ぶ方を指差した。
今いる地区よりも高い位置にあるのか、建物の高さはかなりあり、見た目も綺麗に感じる。
「ここは商業区っつって、工場とか向こうには農場があって……生産がメインの地区なんだよ。で、向こうが生活がメイン。店とか広場とか色々あるんだ」
「あ、お店見たい!」
一気にはしゃぎだしたシランをブルーがやんわりと咎めるのを見て、残りの三人はやっぱりという様子で笑顔を見せる。
「じゃあ、希望に添うか分からないが良い店を案内しよう」
ツヴァイからその言葉を貰い、シランは金の瞳を大きくさせて酷く嬉しそうに頷いた。
「で、お前はどーすんだ」
楽しげに話をしているツヴァイ達を横目に、ティミラはルージュに問うた。
「ここに入る前も苦い顔してたみたいだけどな?」
その言葉に「驚いた」という風に赤い瞳が見開かれる。
ばれてないとでも思っていたのか、ティミラは口の動きだけで「ばーか」と告げ、
「じゃあツヴァイ、二人を頼むな。オレはルージュと行って来る」
少し驚き、そして何かを言おうとするルージュを手で制してさらに続ける。
「キリュウに会うからな。何かあったらコイツいないと困るし」
背に流れる銀の髪の束を引っ張られながら、ルージュはティミラが頼りにしてくれることに少し喜び、会話の中に出された名前を思い出して複雑な表情を浮かべた。
笑っているけれど、それは本来「笑顔」を作る感情を元にしているとは思えぬ暗いものだ。
「分かった。それじゃあルージュ、ティミラを頼む」
ツヴァイからかけられた言葉にようやく顔を上げ、なんとかいつも通りであろう笑顔を見せて頷く。
それに安心したのか、穏やかな表情でツヴァイも頷いて居住区に繋がる建物を目指し、シランとブルーの背を押した。
手を振りながら「また後でね」と声を上げるシランと「前を見ろ」と注意するブルー、それに笑うツヴァイを二人はその姿が遠くなるまで見送った。
「よしっ、そんじゃオレ達も行くか」
ルージュの様子を気にしてか、少しだけ明るめにそう言ってティミラはジープの鍵を軽く放り投げてキャッチする。
小さく、本当に僅かに頷いた彼に苦笑して、二人は道の外れに止めた車を目指していった。






「なんか不思議だなぁ」
居住区への道を歩きながら、シランは鉄等で構成されている見たことの無い作りの街をきょろきょろと見回した。
周りにはカーレントディーテなどで見慣れた、石や木などの街並みとはずいぶんと違う風景が広がっていて、こうして歩いているだけで違う世界に迷い込んできたように思えるほどだ。
交流が無いのだから存在も知らなくて当然だろうし、文化の違いがあっても疑問は無いのだが、ここまでの差があるとは想像もしていなかった。
「まるで世界そのものが別みたい」
「そうだろう、俺も最初にルージュの魔法を見たときは驚いたものだ」
言いながらツヴァイはその時の光景を思い出して見た。
今と違い、当時の彼は手にした杖を扱って力を振るっていたのがとても印象的だった。
炎を操り雷を放ち、風を纏い大地を鳴らし――
それはこの大陸の人間が見たら、誰もが目を疑うような力だ。
「あの力が当たり前にあるか無いかで、ずいぶんと違うだろう」
「そういえば、ティミラが使っているアレは何なんだ?」
首を傾げるツヴァイに、ブルーは手で四角い形を作り、言った。
「アイツがいつも使っているガン。あの力のより所の石は何だ? こっちの魔法とは違うのか?」
「あぁ、あれか」
そう呟いた一瞬、ツヴァイの表情に翳りが見えたのだが、
「あの機械はティミラが自作したもので、エネルギー源の石は特殊な鉱石なんだ」
あっという間に元に戻った顔で言いながら、腰から銀色の塊を取り出す。
それはティミラが使うガンにも似た、けれどそれより細い砲身をした一回りほど小さい塊。
「これが元になった物で、銃と言う。ここから鉄の塊を打ち出しすこの大陸の武器の一つだ」
首を傾げるブルーと興味深々にそれを見つめるシランにそれを手渡し、ツヴァイは「こっちだ」と指を指しながら方向を変え、横道を進んだ。
「あの子は『弾を打ち出す』部分に手を加えて、石の力を引き出して鉄の代わりに放っているんだ」
「それが炎とか雷に?」
「そう。あの石には潜在的にそういった自然界の力が宿っているんだ。本来人間には扱えず、力を引き出すにのも巨大で大掛かりな機械が必要だ」
「え、でもティミラのガンはこれぐらいの大きさ……」
呟いて、シランは手で握り締めている銃を見つめる。
ツヴァイは彼女が何を言いたいのか理解して、手を差し出してそれを返してもらった。
「そういう改造をこなしてしまうのが、あの子の頭の良さを証明しているんだろうな」
もう少し物騒でない物を作って欲しいのだがと内心で思いながら、ツヴァイは銃を腰に戻す。
「だが、そんな物を作り上げて何も無かったのか?」
「ん?」
「いや、凄い功績みたいに思えるから、何も無かったのかと思ったんだが……」
聞いた話をこちらに置き換えてみると、おそらく数人でなければこなせない術を一人で完成させたようにブルーには思えた。
そんなとんでもない話だとすれば、他の人間が放っておくとは思えないのだが。
「そう、だな……」
やっと、やっと搾り出したようなツヴァイの小さな声に、シランとブルーは顔を見合わせた。
「……君達に見せたい場所がある」
言うだけ言って振り返り、道を外れていくツヴァイの後を二人は黙って付いて行く事しか出来なかった。
先ほどまでのさわやかさが消えた背中に何も声をかけることが出来ず、そのまましばらくの沈黙が続いた。
徐々に周りはから人気が減り、ある通路を境にして壊された建物が視界を埋め始めていく。
シランは所々足を止めながら完全に死を迎えている街並みをゆっくりと見回した。
人の気配も生活の痕跡も綺麗に消え、砂や瓦礫へと変わり始めている建物などの様子から長期間放置されているのが分かる。
「これって……」
沈黙する街の破壊のされ方に、異様さを感じた。
戦争が起こったというわけでも、人が捨てて朽ち果てたというわけでもない。
瓦礫が積み重なり、地面が抉られていて、鉄の柱が突き出しているような場所もあった。
「ここだ」
静かに歩いていたツヴァイが足を止め、そう言って見上げた先を追って見つめる。
そこには、複雑に絡み合った巨大な鉄の塔が倒れ、その下にあったであろう街を飲み込んでいる風景が広がっていた。
崩れた屋根に焼け焦げている壁の残骸が、そこにとてつもない重量が降り注ぎ、何もかもを押しつぶして全てを焼き尽くした事を凄然と物語っている。
周りのどこよりも酷いその様相に、シランは金色の瞳を大きく見開いて凍りついてしまい、何も言葉が出なかった。
「なんだ……これは……」
吐息と変わらぬほどの小ささで呟くブルーの声も、余りの惨劇に驚きを隠せずにいる。
「ここに、あの子の母親が眠っている」
壊れた鉄柱に触れながら、ツヴァイは少し頭を垂れて続けた。
「ここには俺達が住んでいた街があった」
告げられるのは過去の言葉。
「……全てがここに眠っている」
もうこの場所には何もないのだと、誰もいないのだと、それが全てを物語っていた。
背を向けるツヴァイの表情は読み取れないが、かすれて聞こえた声には抑えきれない凄惨が溢れてくる。
「どうして……こんな……」
震える唇が、上手く疑問の言葉を紡いでくれない。
ティミラの母が亡くなった事は聞いていた。
けれど、このような形で、それも人の命を含めた街全てを失っているなど思いもしなかった。
もしかしたら、自分達はティミラの悲しみの僅かさえも知らずに今まで過ごして来たのではないか。
彼女の笑顔の下にある、大きな物を理解せずに過ごして来たのではないか。
相手の過去を、悲しみを知ることが相手の全てを理解することではない。
けれど彼女が経験したものは、自分達の想像をはるかに越えているのではないか。

――ジャリッ……

ふと静まり返っていた瓦礫の街に、小石を踏み歩く音が響いて来た。
「ツヴァイ?」
気配とその名に、三人はゆっくりと背後を振り返る。
少し離れた場所に立っていたのは、短い紺色の髪とそれより黒が強い紺の瞳をした一人の男だった。
右目のモノクルと着流した白衣、どこか無感情にすら思えるほど表情の見えない顔が強く印象を与えてくる。
「キリュウ……なぜここに」
信じられないものを見ているかのように呟いたツヴァイに、彼は僅かながらに眉を動かして、
「好き好んで来たわけでは…」
「ちょっとキリュウ! 先に行かないでって言ったじゃん!」
キリュウの言葉を遮り、その奥から走ってきたのは大きめの花束を手にした黒いスーツの女性だった。
肩で切りそろえられた茶色い髪に少し切れ長のオレンジ色の瞳と明るい表情は、男と同行してる人間にしては雰囲気があまりにもかけ離れて見えた。
「向こうで待ってろっつったのに……」
キリュウ目掛けて注意をし始めようとした女性はふとキリュウの視線の先にいる三人に気がつき、同じように視線を向けて一気に笑顔を浮かべる。
「ツヴァイじゃん! 久しぶり!」
「アユハ……!?」
これまた驚きを隠せない様子のツヴァイに駆け寄り、女性――アユハは大きく口を開いて笑い声を上げた。
「あっはは! ちょっとそんなの驚かなくてもよくない?」
「いや、ひさびさだったし……この場所で会うとは思わなくてな」
少し陰りを見せたツヴァイの肩を叩き、アユハは瓦礫の山を少しだけ登って花束をそっと下ろした。
「丁度こっちに来る予定が出来たからさ。あいつ引っ張ってお祈りしていこうと思って」
瓦礫を下り、言いながらアユハは肩膝をつき指を絡ませて瞳を閉じる。
僅かな静寂ののち、膝をはたきながら立ち上がり大きく息を吸い込む。
「ここは忘れちゃいけないさね……」
そうしてゆっくりと息を吐き出して、今度はシランとブルーの二人と向き合った。
「そういやこの子達は? やけにルージュにそっくりな彼がいるけど……」
「あ、あぁそういえば会うのは初めてだな」
今気がついたとばかりにツヴァイは手を打った。
「この二人は例のティミラの友達、ルージュと同郷のシランとブルーくんだ」
「……ってことは。噂のルージュのお兄さんがアンタね!?」
「え、あ、はぁ」
一気にテンションが上がったアユハに、ブルーはわずかに身じろぎをして小さく頷いた。
「ふーん、へぇー……確かに顔は同じだけど目の色が違うし、雰囲気もちょっと違う感じねー」
じろじろと、まるで品定めをされているような居心地の悪さに、ブルーは少しだけ眉を潜めた。
「ほほーん……っと、こっちの子はまた可愛らしい……あら、綺麗な色の瞳してるのね」
「ありがとう、母譲りなんです」
じぃっと見つめてくるオレンジの瞳を見つめ返し、シランは笑みを浮かべて言う。
と、ふいに横から男性の手が差し出されてきた。
頬をなぞり、顎を持ち上げられた先に見えたのは黒い瞳孔が印象的なキリュウの紺の瞳。
ブルーの青よりもなお深い色合いに、ふとシランはその目を覗き込むように見つめてしまった。
「金色とは珍しい。美しい色合いをしている」
「……あ、どうも」
変化の無い表情と声色に気を取られ、褒められているのだと気付くのに少しかかってしまった。
その視線に、人をというより物を見るかのようなものを感じ、ブルーはシランの顎に触れているキリュウの腕を叩き、弾いた。
「気安く触るな」
この人間を詳しく知っているわけではない。
初対面で失礼かとも思ったが、どうにも居心地の悪い感覚を拭う事が出来なかったのだ。
弾かれた手をそのままに、キリュウはブルーの青い瞳を見つめ、そして初めて表情を変えた。
口元に嘲りを浮かばせた一笑。
「さすが双子、奴と良く似ている」
誰と比べているのかすぐに理解して、ブルーはより気分を悪くした。
弟と比べられた事が不満なのではない。
彼は、彼を嫌悪する様子を見て自分と弟が似ていると称したのだ。
「貴様……!」
「ところでこんな場所で何をしていた、ツヴァイ?」
「あぁ、二人にはこの場所を見せておこうと思って」
あからさまに表情を変えたブルーを無視し、キリュウは傍のツヴァイに声をかける。
こちらの考えを分かった上での行動だと理解してブルーは頭に血が上るがままに声を荒げようとしたが、ツヴァイに手で制されて言葉を飲み込んだ。
「なぜ見せる必要が?」
「二人はティミラの友達だ。あの子も心を許している。だからトアレに一目、と思ったんだ」
『ティミラ』という名に少しばかり反応し、今度は興味有り気な色を含ませた視線で二人を眺めるキリュウ。
「ほう、プロトタイプの……」
だが、彼の口から漏らされたのは名前ではなく耳慣れない単語。
「プロ、トタイプ……?」
「“ティミラ”の事だ。お前達は知らないのか」
キリュウは意外そうに言い、そしてごく自然にその続きを吐き出す。

「あれが生物兵器実験の初期被験…」
「キリュウ!!!」

吐き出された言葉をさえぎったのは、荒々しく名を叫んだツヴァイの怒声。
少し乱れている呼吸と槍のように細められた視線が、彼の怒りを明白にしていた。
後ろにいたアユハもまた額に指を当てて大きくうな垂れ、複雑そうにため息を吐いた。
キリュウは呆れのようなため息を小さく吐き出し、銀で彩られたモノクルの淵を指先でなぞり上げる。

――オレはガキの頃、ちょっとした生体実験の被験体にされてな。こんな身体になった。

以前、ティミラから聞いた彼女自身の話が蘇る。

「……兵器?」

それは事実なのだろうか。
言葉が意味することが現実ならば、それはとても恐ろしいことなのではないか。

「一体どういうことなんですか?」
シランの問いに、キリュウはどうするんだと視線でツヴァイに答えを促す。

「……この大陸では、数十年前から生物を素体とした兵器開発が行われていた」

しばらくの沈黙ののち、ツヴァイはゆっくりと口を開いた。
「あの子は、人間を素体とする生物兵器実験においてのプロトタイプであり、唯一の生存者」
まるで贖罪の言葉を吐くかのように、彼は言った。



「あの子は……最初で最後の生体兵器成功例だ」

 
 
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