『 WILLFUL 〜闇の影〜 』
WILLFUL 4−3
――チリ…ン……
ドアに付けられた鈴が小さな音を鳴らし、人が入ってきたことを告げる。
「こんばんわ〜」
言いながら、ニーファは図書館のカウンターから顔を上げて、入口を見やった。
「ど〜も〜♪」
いつも図書館に来る静かな声とは掛け離れた、明るく元気な――
そして、ついさっき聞いた声。
「シランじゃない! いらっしゃい」
新緑の髪に、一度見たら忘れないだろう金色の目。
ニーファの立つカウンターに向かって、シランは静かに足を進めた。
周りには、他の図書館利用者もいるため、彼女も気を使ったのだろう。
「もう来たの? 早いわね」
「うん、調べたい事があるからね」
「そうなの。まぁ、この図書館はそんなに大きいわけじゃないから……役に立つかな?」
「う〜〜ん……探してみないとね〜」
「もし分からない事があったら、私に聞いてね。図書館の事は知り尽くしてるつもりだから」
年相応の笑顔を見せるニーファに、シランも笑みを返して「ありがとう」と告げた。
「じゃあさっそく〜……」
「シラン。勝手に走るな、と何回言えば分かる?」
言いかけた言葉を背後の人から遮られ、シランは後ろに顔を向けた。
「あ、ブルー……」
「勝手に中に入って…あやうく見失うかと思ったぞ。さっき言っただろう?はぐれたら…」
「あ〜もう、分かったってば!! ごめんなさ〜ぃ〜」
「お前……謝る気、あるのか?」
ブルーは腕を組み、ため息を一つ吐いて肩を落とす。
この王女、何を言っても変わる様子が無いのはわかっている。
だからこそ、余計にタチが悪い。
まぁ、それも馴れたものだが――
「あの、シラン。この、人は……」
カウンターの前からブルーを見上げたまま、ニーファは少々固まった表情で呟いた。
長く綺麗な銀髪に高い身長、整った端麗な顔立ちの青年がいきなり現れて、ニーファは少々困惑気味になったようで――
それに気づいたブルーは、彼女に顔を向けて。
「シランがぶつかった人、というのは貴女か……コイツが迷惑をかけてもうしわけない」
「え……いいえ、別に……だ、大丈夫だったから……」
思いのほか低めの声に、少し心拍数が上がってしまうのがよくわかる。
一瞬、シランとはどういう関係なんだろうと考えてしまうのは、女の子として気になる事なのかもしれない。
「ちょっとブルー……そんな親父みたいなセリフ、吐かないでよ」
「ここで謝らないのは、仲間としても失格だろうが。当然だろう?」
説教くさく諭されて、シランは「ぶぅ…」とむくれる。
だがもちろん、彼がそんなのに引け目を感じるわけもない。
「シラン、俺は先に探すぞ」
「えぇ!? 一緒に探してくれないの?」
「時間の無駄だろうが……」
キッパリ言い放って、ブルーは図書館の奥に消えていった。
「も〜〜……こういう時ぐらい、一緒にいてくれたっていいじゃん」
シランは、その後ろ姿を見ながら小さく愚痴をこぼす。
「シラン……あの人と、どういう関係なの……?」
カウンターから軽く身を乗り出したニーファの言葉に、シランは苦笑しながら、
「ブルーは幼馴染みたいなもので、一緒に旅してもらってるの」
よもや『護衛です』などとは口が裂けても言えない。
身分を隠すわけではないが、彼を『護衛』という言葉だけでくくるのは、個人的に嫌なのだ。
「そうなの……あの、そう言えば調べたい事って?」
「え? あぁ、あのね。ちょっとした戦争の事なんだけど〜…」
「戦争? どんな?」
「『創造戦争』っていうヤツなんだけど……知ってる?」
「創造…戦争? うぅ〜ん…聞いた事ないわね。おじいちゃんなら、何か知ってるかも…」
「ほんと!?」
パッと顔を笑顔に変えて、シランは思わずカウンターにかじりつくように飛びついた。
「うん。おじいちゃん、色々な話知ってるみたいだから…でも、今ちょっと仕事してるから、もうちょっとだけ、待っててもらえる? その間に、何か本とか見ててくれる?」
「わかった。ありがとうね、なんか初対面なのに色々してくれて……」
「うぅん、困った時はお互い様でしょ? それじゃ、おじいちゃんに言ってくる」
快く協力してくれるニーファに心から感謝しながら、シランは軽く頭を下げた。
後ろにあったドアにニーファが入っていくのを見送って、シランは辺りを見渡した。
戦争という種類の本はそうそう無い。
大抵の戦争は、歴史と一緒にされている事が多く、本を探すなら、その項目の場所を探さねばならない。
パネルに書かれた『歴史』という項目場所を探していると、それは簡単にあっさりと見つかった。
そこは先ほどブルーが歩いていった方向である。
「ブルーってば。結局一緒の場所、探さなきゃいけないのにねぇ……」
思わず苦笑を洩らして、シランはその場所に足を運んだ。
城の図書館とは違う、木の温もりのある床や壁。
街という人の温もりのある雰囲気に、シランは思わず笑みを浮かべた。
城の灰色の石壁ばかり見てきた自分からすると、それ以外の木や、暖かい色合いを持つ住民の家の石材は、手が届かない物に思えた。
周りを見回しながら歩いていた視線の先に、見慣れた姿を発見した。
束ねた銀髪に黒いマント、見上げなければ顔を見れない高めの身長に、見慣れた顔。
さっきのニーファの反応を見ていたが、やはりブルーやルージュは「美形」という顔なのだろうか。
ほぼ毎日見ているせいか、シランはそうは思わない。
――でも、初めて会った時も、別になんとも思わなかったよね〜……
「何見てるんだ? シラン…」
名前を呼ばれて、いつの間にか近くにいることに気が付いた。
多分、無意識のうちに顔を見ていたのだろう。
目に映るのは、不思議そうに眉を潜めた表情。
「別になんでもないよ〜」
適当にごまかして、シランは横に並ぶ本達に目を向けた。
「どう? 何かあった?」
「いや、目ぼしい物は無い。他の本に記述されているわけでもないようだ」
手に持っていた本を戻しながら、少し落胆の色を見せる口調。
「ふ〜ん」とシランは洩らして、自分の目に映る分だけタイトルを見回していく。
だがやはり、それらしい名は見られない。
「そういえば、アイツとは何を話していたんだ?」
「ニーファのこと?」
「あぁ。随分来るのが遅かったが?」
「うん。ニーファのおじいさんが、何か知ってるかもしれないって」
「本当か?」
「でも今、ちょっと仕事があるから、少し本でも見ててくれって」
「そうか……何か分かればいいがな……」
「うん。そうだね〜」
しゃがみこんで、低い位置の本を眺め始めるシランを見た後、ブルーは少し視線をずらしながら、
「聞きたい事がある」
一言だけ、的確に目的を表した言葉に、シランは顔を上げる。
「お前はなぜ、ここまでして『創造戦争』のことを調べたいんだ?」
逸らしていた視線をシランに戻して、ブルーは回答を求めた。
当の本人は、金色の目をそらし、一言洩らした。
「……別に、なんとなく……」
いつもの気軽で明るい声色とは違う、少しだけ、控えめな声。
シランが見せた一瞬の表情に、わずかにブルーは首をかしげた。
この王女が、このような顔をするのは滅多に無い。
自分がイタズラをしたって、ベロを出し、軽く謝って、それで走って逃げてしまう。
引け目を知らないと思っていたのに――
「お前、いったい……」
「あ、いたいた! シラン〜!!」
かけようと思った言葉を遮ったのは、ニーファ。
その姿を見たシランは、曇りかけていた表情など欠片も無い。
いつもの明るい表情が戻っていた。
「ニーファ! どうしたの?」
「おじいちゃんの仕事、終ったのよ。今、大丈夫?」
「うん、平気だよ! ね、ブルー?」
普段の顔でそう言われては、今までのを聞くのは、こちらが気が引けた。
ブルーは自分の疑問を仕舞いこんで、静かに頷いた。
「じゃあこっちに来て。おじいちゃんが待ってるから」
「ありがとう、ニーファ!」
楽しそうに会話しながら歩いていく王女。
その後ろ姿を見つめながら、聞きそびれた言葉を、奥深くにかき消した。
「………………シラン…」
「あぁ〜〜痛ったい〜〜…ここ、ぜぇったいにコブが出来てるよ〜!!」
「うっさい、やかましい、黙れ、自業自得」
「ティミラ…冷たい……」
街中で渾身の力を込めて蹴られた頭をさすりながら、ルージュはベッドに突っ伏して泣いた。
だがもちろん、そんなのになびくティミラなわけがなく――
勝手にしろ、と言わんばかりにそっぽを向かれて終わりであった。
「あぁ〜あ……いいんだ、いいんだ。僕なんかどうせ、そこら辺のゴミと一緒に海に捨てられて、魚達についばまれて、ボロボロになって海のモクズになっちゃうんだ〜……」
「ルージュ……」
ティミラは、あまりにもイジイジと愚痴を垂れる男の銀髪をガッシと鷲掴み、顔を近づけて一言。
「なんならお望み通り、海の栄養にでもなるか?」
「あのぉ……め、目がまぢなんデスけど……?」
「本心かどうかは、お前が見極めるんだな」
パッとその手から銀髪を離すと、重力に逆らう事無く彼の頭がベッドにバフっと落ちる。
そんな彼女の態度にメソメソと泣きながら、ルージュは再びベッドに突っ伏す。
ティミラはフンっと鼻を鳴らし、宿の部屋の閉じらていた窓を開いた。
深く深呼吸をすると、気分を晴れやかにしてくれる海の潮の香りが通り抜ける。
目を見開けば、そこに映るのは活気付き、賑わいを見せる街並み。
酒場のおばちゃんがお勧めしてくれただけの宿である。
景色も良好。そして、宿のおかみさんの対応も気さくで良かった。
ティミラは、自分とシランの部屋と、ブルーとルージュの双子の部屋を別々に取っておいた。
今、ティミラとルージュがいるのは、双子用に取った部屋の方。
1人で居ても暇なのもあるし、何より一緒に旅をしているあげく、恋人なのに彼と別々にいる必要もないとも思った。
「……で? これからどーする?」
海を眺めていたティミラに、ベッドであお向けになりながらルージュは聞いた。
暇そうに持て余す手には、シランから預けられていた『創造戦争』の本。
今現在、ほとんどと言っていいほど荷物のない自分達のなかで、お金も含めてだが、持ち物の所持を任されているのはルージュである。
いざという戦闘時、手荷物等があってもさして困らないのは、魔術師の彼である。
そういうことも考えての、全員の意見で彼が物の管理を行なっている。
もちろん、変な使いまわしをすれば、結果は見えているのだが――
海風になびく黒髪を手で払い、ティミラは窓の桟に寄りかかる。
「まぁ、この宿に居てもブルー達が来れなきゃ意味ないしな……」
「図書館、行ってみる? シラン達が歩いていったのは中央の道沿いだったから、きっとすぐに見つけれると思うよ。図書館って、けっこう分かり易いからね」
「ふ〜ん……じゃあ、行こうか?」
ティミラは風の入口だった窓を閉め、ルージュはベッドから身を起こし、軽い伸びをした。
「本は〜……置いてっても平気かな?」
「別にいらないんじゃないか? 同じ本を探すわけでもないし」
「……だよね」
いじられても困ると思い、ルージュは本をマクラの下に仕舞い、ティミラとともに部屋を後にした。
「『創造戦争』と言っても、伝承のようなおとぎ話の、だがな」
ニーファのおじいさんの言葉に、シランは全身の力が抜けていくような気がした。
図書館のカウンターの奥の部屋で、ニーファのおじいさんとは面会を果たした。
だが――
多分ダメだろう、とか、世の中そう上手くは行かない、とか――
色々考えてはいたが、いともあっさりと自分の期待が裏切られるのも、悩みもんである。
もしかしたら、とか、万が一――いや、億が一の確立で、とか――
考えていた自分が甘かった。
「おとぎ話の……とは、一体?」
「あれ…ブルーは知らないの? ルージュは知ってたのに……」
ルージュが知っているのだから、ブルーも当然知っている。
そう思っていたが、どうやら知識、知恵にはお互い多少の違いがあるようだ。
「アイツが知ってるって言っても、俺よりルージュの方が読書量がハンパじゃなく多いぞ。いくらなんでも、知識の量で勝つ自身はないな……」
「そうなんだ……それで、おじいさん。その話は……」
どんなものでも情報は欲しい。
そう思ったシランは、おじいさんに先を促す。
「ふむ、あれは確か……こんな話だったかの」
はるか昔。
人々の歴史に記される以前の時。
平和に暮らしていた大地。
繁栄を極めていた人間達。
そこにあったのは平和で、恐怖、憎悪などありはしなかった。
――しかし……
人々に、突然の不幸が訪れた。
空から舞い降りた天使による、地上の破壊。
恐るべき力を持った天使に、地上の無力な人間達は抵抗すら起こせなかった。
人々は恐怖に飲まれ、天の使いを憎んだ。
そんな廃退の一途をたどりかけた地上に、転機が訪れた。
まるで一筋の光の様に現れた、たった一人の人間。
その人間は、他の者達を勇気付け、闘志を奮い立たせた。
天使に勝るとも劣らぬ力を持つその人間は、ある限りの命で天使を打ち倒し、人々に平和と繁栄を、再びもたらした。
それから、その人間は地上では忘れられる事の無い伝説となり、語り継がれる。
「…………お、終わり、ですか?」
「うむ。全ての人間の繁栄を創り上げた戦い……それを称して『創造戦争』と言われているのだ。この程度だぞ? 知っている、と言えば」
ルージュが以前、適当に教えてくれた事とほぼ一致である。
『悪い天使を地上の人間が倒す』
「……そうですか。ありがとうございました〜」
少し落ち込み気味に下げていた顔を上げ、シランは威勢良くお辞儀をする。
――やっぱり、そうそう上手く見つからないかな……
「あぁ、そうだ」
突然掛かった声に、シランとブルーはおじいさんに視線を合わせる。
「もしよっぽど本を探している、というのなら“アレインリシャ”に行ってみてはどうかね?」
「アレインリシャ? あの“神聖国”と謳(うた)われる?」
ブルーの言葉に、おじいさんは静かに頷いて続けた。
「何を隠そう、あの都市の大書庫で司書として働いているのが、このニーファの両親…わたしの娘夫婦なのだよ」
「アレインリシャの大書庫に? それは本当ですか?」
「ねぇねぇ、アレインリシャの大書庫って?」
「“神聖国アレインリシャ”。神や精霊を崇拝する神官都市、というのは知っているだろう?」
ブルーの言葉に頷くシラン。
「あの都市には、世界で一つしかない図書館がある。だが、その蔵書量はとてつもない量で、人間一人の人生では読みきれないほどだそうだ。だから、図書館などと言わず、大書庫と言われてる」
「そんな所で、ニーファの両親は司書をしてるの?」
誉めを含めた驚きに、ニーファは照れくさそうにも嬉しそうに頷いた。
「そっか、アレインリシャかぁ……アレインリシャ………」
シランはその言葉を、まるで失いたくないモノのように繰り返し呟いた。
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