『 WILLFUL 〜戦う者達U ≪覚醒≫〜

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  WILLFUL 8−10  


石畳の床を鳴らし、屋上へ繋がる階段を駆け上がり、アシュレイは外へと繋がる扉まで一気に走り寄った。
荒い呼吸を繰り返し、大きめな扉に触れ、それをふと見上げる。
「……っは、はぁ……ははっ、ちぃっとばかし身体鈍ったか?」
口からはふざけ半分な言葉を吐き出してみるが、どうにも心はそこまで浮いてはくれない。
扉一枚挟んだ向こうから感じる不穏な、身体の中を押しつぶしそうな気配。
「………くそっ……なんだってんだよ……」
踏み出そうにも足がなかなか動き出さない。
力が入らないわけでも、恐怖で震えているわけでもない。
まるでその気配が拒否するかのように、そして身体のどこかが“行くな”と言っているかのように固まったままだ。
「……ふざけるな、娘がいるんだぞ? クリスが、俺に残してくれた大事な娘が……」
誰に告げるでもなく、自分自身に言い聞かせて足に力を込める。
「そうだろ? 行け……動け……」
なぜか重く感じる足を上げ、そして前を見据えて扉に触れていた手に力を込めた。
「くっそ……行けって……!!」
何を拒むのか、何を恐れるのか。
身体は心を離れ、自らの命を尊ぶかのように硬く。
「くそ……くそぉ………」
扉に手を触れたまま、地に視線を落とし歯を食いしばる。
悔しさに目をキツく閉じた瞬間、ふと手に違和感を感じてすぐさま目を開けた。
「………?」
鉄の扉に触れ、温度が下がった手を暖かい何かが包んでいる。
この場所には、自分の他に誰もいない。
リルナはまだここには来ていないし、グレンベルトの兵士がいるわけでもない。
熱を発する炎や、陽光が当たっているわけでもない。
だが確かにそれは優しく暖かで、そしてどこか懐かしい体温。
下に向けたままだった視線をゆっくり上げて、アシュレイは音も無く息を飲んだ。

自分の、無骨な手に重なって見えた白く細い指。

儚く揺らぐ、霧のようなその手が、確かに自分の手に重ねられている。
アシュレイはその手から伸びている、白い腕をゆっくりと視線で追いかけた。
細い二の腕、華奢な肩、緩やかなウェーブのかかった金色の髪。
そして、いつも横で見つめていた穏やかな顔。

「………クリ、ス……」

呆然と名前を呟くと、幻は懐かしい微笑を浮かべ、重ねていた手を握り締めた。
感触は無い、けれど暖かい。

『アッシュ』

音を成さない唇が、確かにそう自分を呼んだ気がして。
「………ク……」
もう一度名を呼ぼうとした瞬間、白い手が掻き消えた。

そこに、確かな暖かさだけを残して――

温もりの残る手を握り締め、アシュレイは扉を見つめた。
ふと、身体を拒絶していた気配が消えたのに気が付いた。
「………シラン」
愛娘の名を呟いて、アシュレイはもう一度扉に力を込めた。















「ば……か、な……」
身体中に溢れる痛みに顔を歪め、セエレは掠れた喉を震わせて声を発した。
地面に倒れた身体からは血が流れ、白い法衣を鮮やかに染めていく。
「そんな……っか、な……」
目の前にいる少女は一切の傷も負っていない。
それでいて、自分の身体はこの有様。
自分の力は相手を攻撃するどころか、相殺さえままならなかった証拠だ。
「くそっ……」
こんなはずではなかった。
予想外の、それも想像を越えた少女の力。
「……ぐっ………こんな………」
徐々に薄れていく意識に、セエレは腕を震わせて抵抗をした。
「こ……こんな、ところで……」

――終わるわけには……

力を失い、瞳を閉じ地に伏せたセエレを見据え、シランは幾度か緩慢な動きで瞬きを繰り返した。



この青年は、グレンベルトを攻撃した。
この青年は、友達を傷つけた。
この青年は、大事な人を傷つけた。



この青年は、敵だ。



不思議なほど安易に、この力は青年を打ち倒した。
どうして自分にこんな力があるのか、一体自分に何が起こったのか。
そんな事は、今はどうでも良かった。
力の使い方は、考えなくても身体が勝手に動いてくれた。
まるで昔から知っていたかのように、酷く自然に動いた。



「……セエレ」
   ――倒せ。



自分の中の何かがそう告げる。



大事な友達を傷つけた敵。
大事な人を傷つけた敵。



   ――躊躇う必要がどこにある?

「………セエレ」

   ――こいつは敵だ。

「……よくも……」



虚ろな瞳を瞬かせ、シランがゆっくりと身体を動かすのに合わせ、再び赤い方陣が輝き始め、徐々に強さを増していく。
ここで終わらせれば、何もかもが元通りになる。
自分を狙うものがいなくなれば、誰も傷つかない。
それで全てが丸く収まるんだ。

「……これで……全部終わる……」


――これで本当に終わる?


「悪いが、ここで終わるわけには行かないのだ」

聞いたことの無い声。
この場にいた、誰の物でもない声。
シランは、どこか離れかけていた自分の意識を覚醒させ、その方に顔を向けた。
いつの間にいたのだろうか。
倒れたセエレを庇うように、一人の女性が立っていた。

「……そっ………」

風に揺れる金色の髪。
細めの背に揺らめく、粒子の欠片の翼。

「……そ、んな……っ」

短めに切りそろえられた髪から覗く、金色の瞳。

「貴女……は……」

声がかすれる。

「貴女は、誰……?」

けれど、焦るシランをよそに女性は切れ長の瞳を細め、ふと嫌な笑みを浮かべた。
強烈な敵意が風に乗って身体に触れていく。
鳥肌が立つような、剥き出しの感情。
「知る必要は無い、クリスの娘。今はとりあえず、こやつを殺されては困るからな」
顔に貼り付けた笑みをそのままに、女性はゆったりと言葉を紡ぐ。
「殺しはしない。だが、見る必要は無い」
言うと同時に虚空に浮かびあがるのは赤い円陣。
膨れ上がる殺気に、シランはとっさに腕を振り上げ力を放った。

――ゴゥッ!!

シランの力と女性の力が同時に放たれ、空虚でぶつかり合い四散する。
衝撃で生み出された強い風に、シランは腕で目元を覆った。
「ほぅ……想像以上。クリスとはまた違う力か」
渦巻く埃と砂で顔は見えないが、女性はわずかに笑っているように呟いた。
口に出された母の名に、シランは顔色を変え、声を荒げる。
「お母さんを……お母さんを知ってるの!?」

――ドズッ……

だが、シランの叫びに答えたのは赤い一閃の光。
「……っあ! ぐ、ぅ……」
肩を貫かれ、苦悶で顔を染め上げてシランは膝をついた。
「力が目覚めたばかりでありながら、セエレを破るのはさすがというべきか」
徐々に疲労感の増してきた身体で、シランは痛みを堪えながら女性を見上げる。
「………強い目だな」
自分とは違う種類の、だけれど同じ位強い色を秘めた少女の瞳。
遠い過去を彷彿とさせる意思の色。
「だが、憐れだ……」
何も知らず、けれど否応無く巻き込まれてしまう少女。

「今はまだ、時ではない」

わずか一瞬だけ薄れた女性の敵意。
その変化に気付く事無く、シランは身体を襲う倦怠感に意識を失った。
崩れ、地面に再び伏せ行く身体に合わせ、背に現れていた光の翼の欠片が掻き消える。
うつ伏せに倒れた小柄な少女を見据え、女性は小さく息を洩らした。
「………まだ身体が慣れぬか。まぁ当然だな」
先ほどの口調とは一変した、女性の穏やかな声色。

気を許したわけではないが、けれどまるで――

「……これからだ。まだお前を失うわけにはいかぬ」

それはまるで、何かを託すかのような声。

――あの人間を、止めねば……



――ガタガタッ……



呟きかけて、城から続いている扉が音を立てた。
「魔法大国の王か……」
横たわるセエレの側にしゃがみ込み、自分とその周りに方陣を出現させる。
「うっ……ファ、ネ……様……」
「案ずるな。引き上げる」
苦悶の声を洩らすセエレの背をなでる女性。
そして、赤い魔法陣がより強い光を放ち始め……










――バァンッ!!!



「娘ぇ!!」
激しい音を立てて開かれた扉の向こう。
「……ルージュ……それに、美人ちゃん?」
地に伏せた、微動だにしない体。
身体中を、その異色の血で汚した少女と赤い血を法衣に滲ませていて。
「……ブルー」
何が起こったというのだ。
「………娘……シラン……!!!」
険しい表情をしたアシュレイが目にしたのは、想像だにし得なかった姿。

完全に意識を失い、何者かに攻撃を受け、倒れた四人“だけ”だった――
 
 
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