『 WILLFUL 〜休息 旅立ちへ〜

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  WILLFUL 9−1  


黒い血が見えた。
傷ついた彼女が見えた。
一瞬途絶えた気配に、嫌な予感はしていたけれど。
それでも、目の当たりにした現実は理性を簡単に吹き飛ばした。
それが間違ってるとは、思っていない。
戦闘において、敗北の理由にはなるかもしれないが。
けれど、敵はそんなのが理由にならないほど強かった。

一瞬だった。
赤い閃光に包まれた瞬間に、身体は限界を超えた痛みに意識を切り放した。


――何が出来た?


守護する役目を任された王女と、守ると誓った最愛の恋人。
神の使いを使役したところで、自分は何も出来ないのだろうか。


――所詮自分の力は、この程度なのだろうか?










『何を悩む? 少年』

  ……誰?

『お前はまだ、全てを手に入れていない』

  全てを?

『お前の力。大いなる獣を呼び寄せる力』

  召喚のこと?

『そうだ。目を開けて、その赤い瞳によく焼き付けるのだ』

  目を、開ける?










腕にも足にも力が入らない、水に浮いているかのような浮遊感。
それとは別に、身体を満たしていく暖かい流れ。

  これ、どこかで感じた気がする……

身体が覚えている。
その懐かしい感覚は徐々に記憶の糸をたぐり寄せ、ある瞬間を脳裏の映し出した。


  『ここ、どこ?』


それは幼いころ、双子の兄さえ知らない自分だけが見たもの。





  あぁ、初めてユグドラシルと会った……





酷く緩慢な動きで、ゆっくりと瞳を開いていった。
ぼやける視界の先、捉えた空は白く、ただ白く。
『見えるか?』
呼びかけは、すぐそばから聞こえた。
自分の身体の感覚に気付き、上半身を起こした。
青の混じった色合いの草が、風に揺られ音を鳴らしている。
『立ち上がれ』
声に合わせて白い空の一部分が歪み、淡い桃色をした鳥が姿を見せた。
一旦肩に止まった鳥は耳元で小さく鳴くと、ゆっくりと翼を広げて舞い上がっていく。
足に力を込め、草を踏んで立ち上がりその鳥の後を歩いた。
ふと、白い空に何かが見えた。
視界の端を埋め尽くす、無数の動きのある影。

否――それは翼を持った、空を駆ることを許された神獣達。

目の前の光景に思わず息を飲み込むと、鳥が再び肩に止まった。
空から鳥に目を移し、そして地上を眺めた。
心臓が強く、大きく波打った。
そこは小さな丘だった。
そして丘から眺めた先。
溢れんばかりのその、大いなる力。
それは、翼の代わりに爪で地を走り、牙で全てを壊す神獣達。
その数は、無数だった。
地上にも、空にも、無数の力が溢れている。

『驚いたか?』

呼びかけてきた声に、思わず肩を揺らし振り返った。

『それが、お前の力』

手に無造作に握られている、うっすらと透明度を持つ青い剣。
左右別々に彩られた目。
炎のような、赤い色をした左の瞳。
水のような、青い色をした右の瞳。
そして、風に揺れる銀色の、髪。

『ここに辿り着いた時が、この力を導く時』

  あなたは……!?

声をかけようとした一瞬、強い光が全てを押し流した。

それは意識さえ、身体から引き剥がすほどで――

『私はここにいる。待っているぞ』















「……………………」
瞼の向こうから照りつける、強い光。
「…………っ…………」
無意識に手で目元を覆い、そしてゆっくりと瞼を持ち上げた。
「…………こ……こは……?」
手を退かし、何度か瞬きを繰り返した。
徐々に、確実に認識していく意識。
目の前に映る、白い天井。
重い体。
カーテンの隙間から差し込む、顔を照らす光。
「…………僕……は……」



憎しみに染まった金色の瞳。
辺りに現れた赤い光。
簡単に力尽きた自らの身体。



僕は、負けた。



一つの答えを突きつけられ、ルージュは目を細めた。
「……ぼ、くは…………」


何が出来た。


思い出すのは、傷ついたティミラの姿。
黒い血を流し、倒れた彼女の姿。



「…………っ…………」



唇をかみ締め、ルージュは瞳を閉じた。



何が、何が出来るだろう。
僕は、何が出来るだろう。
何が、成せるのだろうか。





――お前はまだ、全てを手に入れていない。





「…………僕は…………」



――待っているぞ。



そこは、果ての無い力。
自分の強さの、場所。



「…………行ってやろうじゃないか」
手を握り締め、ルージュは瞳を開いた。

――……そういえば。

「ティミラ、無事、だよね……」










グレンベルトが襲撃されてどれぐらい経ったのか。
詳細はよく分からないが、思ったより被害は少なかったようだ。
まだ慌しく動く人も見えるが、比較的平穏は戻っているように感じる。
日の光が差し込む窓を眺めながら、ルージュはゆっくりと王城の廊下を進んで行った。
身体の痛みはほとんど感じなかったが、はっきり言って全快には程遠く、おそらく魔力も思うようには戻っていない。
もうしばらくは療養することになるだろう。
というか、おそらく母に強制的に寝かされるだろう。
普段の冷静さを無くし、怒りに、悲しみに、そして心配そうに言い聞かせるリルナの表情を思い出し、ルージュは少しだけ苦笑した。
当分は静かな時間を過ごすことになるだろう。
丁度良い、知りたいことが増えた所だ。
療養と同時に色々得ておく必要はあるだろう。
「さて……ティミラはどこかな」
一通り歩いてきた廊下を振り返り、ルージュは指で頬を掻いた。
ティミラとシランが寝ていると聞いた向かいの部屋にいたのは、シランのみだった。
世話をしていた侍女に話を聞けば、日を浴びると言いふらふらとどこかに歩いていったとか。
部屋のカーテンは締め切られたままだった。
きっと横で寝ているシランを気にしての行動だ。
おそらく気分転換もかねて、彼女は部屋を出たのだろう。
「あ、すみません」
丁度良くそばを通りかかった男性に声をかける。
城で働く仕官だろうか、ゆったりとした服装に身を包んでいた。
「貴方はカーレントディーテの……お体はもうよろしいのですか?」
その言葉に、嬉しさと恥ずかしさに思わず苦笑した。
「えぇ、ご心配ありがとうございます。もう大丈夫です」
「そうですか、それは良かった。あぁ、そういえば……」
男性の言葉にルージュは首をかしげた。
「この先に、お連れだった女性がおられますよ」
「……もしかして、黒髪の?」
「えぇ。ほら」
少しだけ歩いて案内された廊下の突き当たり。
男性が手で示した先に、大きな白い枠で飾られたガラス扉の向こうに空が見えた。
「あちらです」
穏やかな表情で男性は一言つげ、一礼すると背を向けて歩き出していく。
「…………テラスか」
男性が見えなくなってから振り返り、ルージュはゆっくりと足を勧めた。
徐々に明るさを増していく廊下に、広がっていく空。
ゆっくりと戸を押し開け、まぶしい青を見上げた。
「…………良い天気」
目を細めながら澄んだ空を見つめ、そして次に正面に目を向ける。
テラスの柵にひじを乗せ、こちらに背を向けている姿があった。
風に揺れ、ゆったりと流れる黒髪。
それだけで彼女だとすぐに分かる。

「ティミラ」

大きくは無い。
けれど聞き漏らさない声。
確かな呼びかけに女性はゆっくりと顔をあげ、こちらを振り返った。
翡翠の瞳、揺れる黒髪。
違いといえば、普段彼女が着ることは無いであろう白い服。
ワンピースの、長く白いスカートが揺れている。
「なんだ。白も似合うじゃん」
おどけたように言ってみれば、ティミラはすぐに顔を赤くして眉をひそめた。
「これは着替えだ。服、ぼろぼろになったからな」
どこかいじけたような口調に、ルージュは苦笑しつつ胸が痛むのを感じた。
そうなってしまった現実が、酷く自分を責める。
「おい、ルージュ」
うつむきかけていたルージュに、ティミラは荒っぽく声をかける。
視線を上げると、こっちを見つめる翡翠の瞳と目が合った。
「お前のせいじゃないから。自分、責めてもしょうがないだろ」
バレてる。
簡単に読まれた考えに、再び苦笑した。
「それより、お前こそ大丈夫なのかよ」
「え?」
「え? じゃないだろ」
首をかしげると、ティミラがこちらに近づきつつ言葉を続けた。
「聞いた。お前が一番怪我が酷かったって」
そばに歩み寄り、頬に手を沿えながら、
「……心配した」
ポツリと呟いて、ティミラは視線を落としてしまった。
「だいじょぶだいじょーぶ。問題ないよ」
ちょっと笑いながら、何気なく言ったつもりだった。
だけれど、言葉のあとすぐにティミラはものすごい形相で見上げてきた。
いや、睨んでる、というほうが正しいだろう。
思わぬ反応に、ルージュは顔を凍りつかせた。
「お前……それ本気で言ってんのか?」
「え、いや……なんていうか…………」
「お前自分がどんだけ酷かったか分かってんのか!?」
張り上げられた声に、思わず笑ってた表情も消えた。
「オレ、お前が倒されたとこ見たわけじゃない。だけど……」
唇が、震えている。
翡翠の瞳が、揺らいでいる。
「お前の服、見た。真っ赤だった。どんだけヤバかったか、医療知識の無いオレだって分かるぐらい酷かった……真っ赤だったんだぞ!!」
言葉の強さとは裏腹に、ティミラの表情は今にも崩れそうになっていた。
「オレは…………恐かった……」
死なないとは分かっていた。
リルナが治療したと聞いた。
もう問題なんて無いと、理解はしていた。
それでも不安はぬぐえなかった。
「恐かったんだ……お前が、もし、死んだりしたらどうしようって。寝顔見たけど、顔は真っ青だったし、目が覚める様子無かったし……」
「ティミラ……」
「オレは、オレなんかどうだっていい。簡単に死んだりしないから……でも……」
縋るかのように掴まれた二の腕が痛んだ。
ティミラの指が、着替えの白い服と一緒に腕そのものに力を込めている。
その指が震えているのは、見間違いではない。
「……でも、僕はキミと違って普通の人間…………」
ゆっくりと言葉の続きを紡ぐルージュを、ティミラは黙って見上げた。
ティミラの言いたいことは分かっている。
異形な身体を持つ自分と違い、お前は死んでしまうんだと。
生き返ったりはしないんだと。
だけど。

「ティミラ……自分を“どうだっていい”なんて言わないで」



「……キミが、無事で良かった」



穏やかに、微笑みながら言われて。
ティミラはこらえきれずに瞳を閉じた。
きつく、強く瞼を閉じても、頬を流れる涙は止まらなかった。
声は漏らすまいと唇を震わせながら耐えていたが、涙だけは止まらなかった。
死なぬ身体なら盾にでも使えばいいものを、この男はそんなことはしない。
むしろ守ろうとしてくれている。
なんでこんな自分を、こんな異形の自分をここまで思ってくれるのだろうか。
けれど、そんな質問をしても答えはいつも同じ事しか帰ってこない。
分かっているから、だからあえてティミラは聞かなかった。
「心配してくれてありがとう」
そういいながら、抱きしめてくれる腕。
心地よい、暖かい、嬉しい。

「もう、大丈夫だから、ね?」

分かったと、口で言えないから頷くことで答えた。
何度も、何度も頷いて、ティミラは自分の胸に声をかけた。



――この人を、守っていこう。










風が穏やかに流れ、舞い上がった髪が頬をなでていく。
「……これからどうするんだ?」
しばらく黙ったままだったティミラは、テラスから街を眺めながら聞いた。
「どうするって?」
「こっちの国同士のことは知らねぇけど、今回の事件が良くないぐらいは分かる」
風になびく髪を手で抑えながら視線だけでルージュを見つめ、さらに続ける。
「それにセエレが絡んでる、ってのがな。どうにもヤバそうだし」
「……ま、そう考えるのは妥当だね」
分かっているという風に、困った表情でルージュは苦笑した。
「それに、事件に絡んでるだけじゃねぇ」
「…………シラン?」
「シランもそうだ」
ティミラの言葉に、ルージュは少し以外そうに目を細める。
「も?」
「あぁ、思い出してみろ。アイツの、異様なぐらいの俺たちに対する敵意」
「………………まぁ、そりゃあ……」
呟いて、直接戦ったときのことを思い出す。
抑えると言う言葉が無いかのような、殺気立ったセエレの金色の瞳。
それは確かに、シランだけでなく自分たちにも向けられていた。
ただ邪魔者を排除するだけでない。
憎しみを持って殺そうとしていた。
「それに……アイツ、レヴィトの事を知ってた」
「え……!?」
想像していなかったティミラの言葉に、ルージュは目を見開いた。
「レヴィトだけじゃない。散々“裏切り者”だとか“白銀”だとか……」
「…………僕らにも、関係があると……」
「断片的過ぎて分かんないけど、多分な……」
確かに、思えば疑問は残る。
神獣であるユグドラシルを“獣”と呼んだりもしていた。
「オレ達にはあまりにも情報が少なすぎる」
眉間に皺を寄せ、眉をひそめてティミラはつぶやいた。
「アイツは知ってる。オレ達の知らない“オレ達の何か”を……」
「何か……ね……」
ため息混じりに言い、テラスの柵に背を預け、ぽつぽつと人影の見えるテラスの入り口に目をやると、
「……ん?」
テラスにつながっているドアノブに手を伸ばし、懸命にガラス戸を押している少年の姿が見えた。
「ケイルくん?」
「あ?」
振り返り見ると、笑顔を向けながらこちらに駆け寄ってきた。
「良かった、お二人とも無事で……!」
「お〜少年! 心配かけたなぁ」
ひさしぶりに見たケイルに、安堵と喜びを感じながら、ティミラはその頭をわしわしと撫で回す。
少し乱暴そうな気もするが、痛みも無くケイルも笑っていた。
「良かった、本当に……皆さんが運ばれたときはどうなるかって……」
「ありがとう、心配してくれて」
今度はルージュがしゃがみこみ、その黄色の髪をぽんぽんと叩いた。
それに一瞬笑顔で頷いたケイルだったが、
「でも……本当に無事で良かった」
少々顔を曇らせ、心配そうにルージュを見上げた。
「お師匠様から、一番怪我が酷かったと聞きました」
首をかしげたルージュに、ケイルは眉尻を下げて続けて言う。
「それに術……召喚を使うのも、すごく疲れるんですよね? 僕、見てるだけで……」
そううなだれるケイル。
ティミラとルージュは顔を見合わせ、少し困ったように笑い合い、
「ケイルくん、ありがとう」
柔らかな声に顔を上げるケイル。
「心配してくれて、本当に……」
見上げた表情に、ケイルは少し驚いた。
ルージュが普段見せるような、飄々とした顔ではない。
とても穏やかで、落ち着いた色の強い微笑み。
ケイルはどこか照れくささを感じながらも、笑顔を返して小さく頷いた。
「それで、お前何をしにここへ来たんだ?」
「……あ、そうだった!」
ティミラに声をかけられて、ケイルははっと顔を上げた。
「マディスの街で言ってた話です。父の書庫を見せてほしいって」
「……そういえば」
立ち寄ったマディスの街でさまざまな古い文献を所持していると言うケイルの父の話を聞いて、そんな約束をしていたなと思い出した。
何かごちゃごちゃとしてしまって、すっかり吹っ飛びかけていたことだ。
「街ももう落ち着いてきています、僕の家も問題ありませんでした。体調がよければいつでも来てください。兄も顔を出してってくれって」
「ありがとう、助かるよ」
笑顔で答えるルージュにケイルは首を横に振り、「それじゃあ」と背を向ける。
おそらくメスティエーレと共に行動しているのだろう、足早にテラスを後にした。
「何か分かればいいね」
「あぁ、そうだな」
戻ろっかとティミラに笑顔を向け、ガラス戸に手をかける。
だがティミラはその場を動こうとしなかった。
左の二の腕を右手で強く握り締め、顔をうつむかせる。
そこはセエレに見せた、黒い痣のある場所。
目覚めた後からずっと感じる、何かが這うような、疼くような違和感。
「……一回ミッドガルドに戻って、アイツに診てもらうか」
目の端で二の腕を見つめ、小さくため息を吐いた。

「うわ、すげー滅入る……」

肩を落としつつ、すでに廊下にいたルージュに呼ばれ、ティミラは小走りにそこを後にした。
 
 
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