『 WILLFUL 〜休息 旅立ちへ〜 』
WILLFUL 9−3
日が傾きかけ、少し薄暗くなった部屋。
締め切られてたままだろう、カーテンを少し開けるとまだ沈み切っていない夕日が部屋を淡く照らした。
薄暗い部屋のせいか、静かに寝息を立てる王女の髪は普段の明るい新緑ではなく、深い色を携えていてとても落ち着いている。
まるで今の彼女の状態を現しているかのようだ。
ゆっくりと上下する胸元が、呼吸の穏やかさを伝えてきた。
前髪を指先でそっと払い、静かな寝息を立てている王女の顔を覗き込む。
薄く開いた唇、閉じたままの瞼、微動だにしない表情。
実際の年より幼さを感じる彼女の頬にそっと触れ、その肌を指で撫で上げた。
顔色があまり良くないように思える。
それはきっと部屋の暗さだけが原因ではないだろう。
――違う……違う、あたしは……
その瞬間、酷く濁ったように見えた金色。
それは悲しみで、それは戸惑いで、それは動揺で、それは罪悪感で。
その色だけが、頭から離れなくなってしまった。
消えそうな声が、まだ耳の奥で微かに震えている。
こんな表情をさせないために、自分がいるはずだったのに。
「俺が……お前を追い詰めたな」
そんなことするはずないと思っていたが。
それこそ高慢な思いだったのかもしれない。
「……シラン」
瞳を閉じて、頬を撫でながらブルーはぽつりと呟いて顔をうつむかせた。
目が覚めたら、彼女は自分を見てなんと言うだろうか。
いや、何も言ってくれないかもしれない。
それでもいい。
「……すまなかった……俺は……」
ふと、頬に触れていた手が何かに包まれた。
「…………ど、して……謝るの?」
それは小さな、小さな声。
その声に不安と、高鳴る思いが混ざる。
ゆっくりと、ゆっくりと瞳を開いて声の主を見つめた。
「ブルーは……悪く、ないよ」
自分の手に重ねられる手が、何故か酷く弱々しく見えた。
胸に押し寄せる何かに息が詰まり、手が握り返せなかった。
鈍い金を宿した瞳に、自分の銀色の髪が揺らいで映っているのが見えた。
「…………シラン……」
ただの吐息にしか聞こえなさそうな呼び声に、彼女は何度か重たそうな瞬きをして、
「……ごめ……なさい……」
静かに、静かにそう呟いた。
唇からこぼれた言葉に、ブルーは目を細めた。
視線を外し、彼女は目の前にある虚空だけを捉えていた。
それは他でもない、自分自身の行いを責めている目。
「………あたし……ね……」
「…………言わなくていい」
そんな言葉も、顔も、見たくない。
「お前は悪くない。だから……」
そんな言葉も、顔も、もうさせたくない。
「だから、謝るな」
鈍いままの金色の瞳を覗き込み、ブルーは続けた。
「お前は……俺が守るから」
影のかかっていた金の瞳が、ゆっくりと見開かれて行く。
「言いたくなったら、教えてくれ」
「……ブルー……」
「それまで、お前は自分を信じて歩け」
徐々に、徐々に金が色を取り戻し始めるのが手に取るように分かる。
それはいつも見慣れた、どんなに強い光を浴びても負けることの無い輝き。
そうだ、俺はこの瞳が忘れられなかったんだ。
色々な輝きを放つ、この瞳が――
「……俺は……」
もう、迷わない。
「……お前を信じる」
伝えられた思いを復唱するかのように、何度も、何度も瞬きを繰り返す大きな瞳。
しばらくブルーの顔を見つめていたシランが、ゆっくりと言葉の代わりに返したのは笑顔。
それは幼いころに始めて見たときから変わらない、向日葵のような明るい笑顔。
叶った願いならば、二度とそれを手放さぬようにと――
「俺がお前を守る」
それは、二度と破らぬと己に刻み込む誓いでもあった――
グレンベルトにいくつかある宿屋の一室。
手早く身支度を進めていくメスティエーレの姿を部屋の入り口から眺めつつ、アーガイルは声を発した。
「なー、エレ」
「何かしら?」
「本当にだいじょうぶなのか?」
「ん〜?」
「……っだぁから!!」
のん気な声色で答えをはぐらかすメスティエーレに、いよいよアーガイルは痺れを切らした。
「これからダルムヘルンに行くんだろ? 大丈夫なのかって…」
「大丈夫じゃなかったら断るに決まってるじゃない。ケイルもいるのに」
アーガイルの顔を見向きもせずにあっさり答え、荷物を綺麗にしまいこむ。
「私達は旅人よ。ただの、流れの魔術師と剣士で。どこかのスパイじゃない」
「そりゃ……まぁそうだけど……」
「でしょ? 何か問題があります?」
そうガッチリと視線を合わせて言われてしまえば、何も言い返せない。
「む〜……けどなぁ……」
「心配なのは分かるわ。けれど、もしかしたらいずれ、誰もが巻き込まれる問題になるかもしれないのよ」
メスティエーレの言葉に、アーガイルは少し顔を強張らせた。
それは、今保っている世界の安定が崩れるということで、戦いが溢れるということで。
「私達はただの一旅人よ。でも、それを防ぐ力になれるのなら……ね?」
ふっと浮かべた笑顔にアーガイルは「わかった」と漏らして踵を返した。
「出発は夕刻、ケイルを迎えに行ってからよ?」
それにひらひらと手で答え、アーガイルは部屋を後にした。
一人になった空間で、メスティエーレは杖を手にしながら空を見上げた。
旅人達の間でも、最近はダルムヘルンの良い噂を聞いていないのは事実。
「……良い天気だこと」
先が見えなくなりかけている現状とは正反対に、空は青々と清んだ表情を見せていた。
――そして。
「…………っん〜〜〜はぁ……」
大きく両腕を突き出し、背筋を伸ばして少女は頭を振った。
少し跳ねた新緑の色の髪が揺れ、頬をくすぐってくる。
外の明るさをさえぎっていたカーテンを開き、少女はまぶしそうに金色の瞳を細め、
「うん、良い天気」
そうにこやかに言って、ベッドから飛び降りて窓を開けた。
部屋に流れ込んで来た風に少女は反射的に目を閉じたが、入り込んだ新しい空気を吸い込み、ゆっくりと瞳を開いた。
抜けるような果ての無い青空を、少しの間だけぼーっと見上げていると――
――コンコン。
静かに背後のドアが鳴った。
「はいー?」
空を見つめたままぼーっと答えると、ドアが少しだけ軋んだ音を鳴らして開いた。
「シラン、もう大丈夫なのか?」
聞きなれた声色を耳にし、少女――シランはふっと顔だけで振り返り、
「うん、もう大丈夫だよ」
にこっと笑みを浮かべ、金色の瞳を瞬かせた。
「……ありがとう、ブルー」
その言葉に声をかけた青年――ブルーも穏やかな表情で頷き、小脇に抱えていた服を差し出してシランに手渡した。
「これは?」
「新しい服だ。アシュレイ様が用意してくれた」
今身に纏っているのは、おそらく療養用であろう白いワンピースだけ。
目の前のブルーも、よく見たら以前とは少し色合いの違う服を身につけている。
「俺たちは王の間にいる。終わったら来てくれ」
そう告げられ、閉じられたドアを少しだけ見つめ、次に手の中の服に視線を移す。
以前着ていたのと似たようなオレンジ色のそれを広げ、シランは小さく頷いた。
「…………っよし!」
廊下に差し込む光の柱を飛び越えながら、シランは軽快なリズムで足を進めていく。
窓から見える澄み渡る青空を視界の端に写して、そのリズムはさらに軽くなる。
すれ違う人々に声をかけられればにこやかな表情で笑みを返し、シランは王の間を目指して歩いた。
以前より少し裾の長いオレンジの服を翻して、シランはその目的の場所で足を止めた。
「あ、おはようございます。お身体は大丈夫ですか?」
王の間の警護をしている兵士が、一礼をしながら心配そうに声をかけてくれた。
ブルーに聞いた限りでは、5日ほど眠り続けていたようで。
一旦目覚めてからも二日ほど目を覚ませなかったのだ。
「ありがとう。もう大丈夫だよ! 迷惑かけてごめんなさい」
苦笑いを浮かべながらぺこりと頭を下げるシランに、兵士は慌てたように声を上げた。
「そんな、お止めください……! ご無事で何よりです。さぁ、陛下がお待ちです」
両隣に並んでいた兵士が扉に手を当て、少しばかり扉を開いた。
そこに手を添え、力を加えてシランは扉を強く押し開いていく。
大きく荘厳な扉がわずかな音を立てると、隙間から差し込んできた光が視界を塗りつぶす。
片手で目元を覆いながら足を踏み進める。
まぶしさが薄れ、ゆっくりと開いた視線の先には見慣れた姿があった。
艶やかな長い黒髪を揺らし、口元にいつもの不敵な笑みを浮かべるティミラ。
その横には赤い瞳を細め、穏やかな表情を見せるルージュ。
二人に目を向けて笑顔で小さく頷き、少し離れた反対側に立っていた彼と視線が合った。
海のように深い色をした紺碧の瞳と光を反射して輝く銀の髪。
目が合った一瞬に笑みを見せ、すぐにその表情を消す姿にシランはクスっと声を漏らした。
普段通りの彼の様子に安堵を覚え、シランはゆっくりと正面に向く。
「怪我の方は、問題ないか?」
少し段差のある王座に腰掛けながら、心配そうに聞くイクスにシランは小さく頷く。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。もう大丈夫です」
はっきりと答える姿勢に安堵し、笑みを浮かべたイクスと対象的に、
「娘……」
側にいたアシュレイは表情を固めたまま、シランを呼んだ。
普段と違う様子に、シラン、そして背後にいた三人も緊張を走らせる。
「……はっきりと聞こう。誰と、何と戦っていた?」
「親父……」
普段の雰囲気との差に、シランも小さく父を呼ぶことしか出来なかった。
「おい、アシュレイ。気を楽にしたらどうだ? 王女も病み上がりなんだぞ?」
緊張した空気を和らげたのは、イクスの声だった。
「でも」と言いたげに眉を潜めるアシュレイに、イクスは小さく笑みだけを浮かべる。
「そう焦るな。焦って事態が良い方に向かうなら、俺もそうしている」
「イクス……」
ふと昔を彷彿とさせるような、子どものような余裕を帯びたその表情に、アシュレイも小さく息を吐いて緊張を解いた。
「さて……此度の戦いに置いて、白銀の双頭並びティミラ嬢の力は大きな戦力であった。あらためてグレンベルトの王として、国を代表して礼を言おう」
「いえ、勿体無いお言葉です」
小さく頭を垂れるイクスに、ブルーの言葉に合わせ双子が深々と頭を下げ、ティミラは小さく会釈を返した。
「今回の襲撃の件は、我が国とカーレントディーテは言うに及ばず、他の国々にも動揺を与えることになるだろう。ただでさえ、不穏を感じさせていたダルムヘルンの動き……それがこんな形で確信させられるとは思ってもいなかった」
「付け加えて、あの兵団の正体」
鎧を身に纏っていたのは人間ではなく、急所を突かねば倒すことの適わぬ人形兵。
「あの国に、何かが起こっていると考えるのが妥当だ」
アシュレイは組んでいた腕を解き、シランの前にしゃがみこみ、
「そして、お前たちが戦った相手……」
攻め立てるような、突き放すような視線ではない。
得体の知れない物への不安感と、募る疑念。
「娘……お前は何と戦っていたんだ?」
「それは……」
顔をうつむかせ、視線を逸らすシランにアシュレイも気まずそうに頭を掻いた。
「すまん、お前を責めてるわけじゃないんだ……」
父がポツリと発した声に、シランは顔を上げた。
少し影を帯びたアシュレイはそのまま言葉を続ける。
「ただ、感じたんだ。あの時、屋上で何か起こったんじゃないかって。それに……」
「それ、に?」
「クリスが、な」
出された名に、シランは目を見開いて息を飲んだ。
「お母さん……?」
「あぁ。屋上まで向かったのはいいが、俺は扉の前で何かに脅えちまってな。得体の知れない何かに恐れ、身体が凍って、足が進まなくなっちまって……」
「……お母さんが、助けてくれた?」
「あぁ。手がな、こう……なんか暖かくなって。そしたら、前に進めたんだ」
――けど、間に合わなかったな……
内心で付け加え、アシュレイは先ほどの緊張感に溢れた表情とは裏腹の、穏やかな笑みを浮かべた。
それはどこか自傷じみているようにも見えた。
「……そうだな。俺は、お前達を助けられなかったんだよな」
「親父……」
「すまなかった……王としての、父親としての立場、無ぇよな……」
苦笑を浮かべ、気まずそうにするアシュレイにシランも同じように苦笑を見せた。
「そんなこと、ない」
「…………娘」
告げられる言葉に、アシュレイは目を細めた。
「あたしは……来てくれただけで十分だよ、親父」
母が父を導こうとしたのならば――
「親父、聞いて。あたし達が戦った相手のこと」
告げてもきっと、大丈夫――
「そいつは、前にイルヴォールの街で戦った相手……」
いや、もしかしたら「告げて」という母の言葉なのかもしれない――
「…………同じだった」
――お母さん。
「あたしと……」
彼が持っていたのは――
「あたしと、お母さんと同じ……」
金の輝きを放つ、瞳――
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