『 WILLFUL 〜休息 旅立ちへ〜 』
WILLFUL 9−5
「なんだ。オレはてっきり、何もかもが判明したのかと思って来たけど……」
無事にケイルの家に辿り着き、先客のいる部屋に案内されて数分。
探し物がもう見つかっているちょびっとの寂しさと、結果が分かるであろう大きめの期待感を胸に抱いていたのだが、それはものの見事に打ち砕かれた。
「そんな早々全部が解決してたら、僕らは苦労してないって」
だよなぁとぼやき、ティミラは本棚に軽く背を預けた。
チラッと背後に並ぶ本に目をやり、ティミラは内心で感嘆の声を上げる。
今までこちらの大陸で目にしてきたどの本よりも、古さを感じる物が大量に並んでいたからだ。
探究心の強さを思わせる本の量は圧倒的だ。
内容云々は分からないが、こういった物を好み、集めるの人間がいるのはどこも同じか。
雑然と物が並ぶ机の一角を陣取り、一つの本を覗き込んでいる双子を見やり、傍に歩み寄る。
ちらっと覗き込んだ本の中身は、見たことの無い字体がずらっと並んでいてただの記号にしか見えない。
「……なんだこれ?」
「古代語だと思う」
「思う……?」
ルージュのすっぱりとした、けれど安定の無い答えにティミラは首を傾げた。
魔術の研究のために多数の語学を身に付けているルージュが、確信を述べない。
「知らねぇの?」
「……悔しながら」
ということは、これはルージュも知りえない言葉だということか。
「ずっと前の言葉だとか?」
「いや、それが見たことも無いんだなぁ」
「見たことが無い?」
「どの言語にも当てはまらないし、類似点も見つからない」
「それって、新しい言語……ってことか?」
苦笑して肩を竦める姿は、受け入れたくないと思いつつも肯定するしかないという意味だろう。
「中読めないのに、どうやって当たりを引いたんだ?」
「表紙が同じデザインだからね。とは言っても、見つけたのはシランだけど」
「ふぅん……」
「しかしこうなると、簡単に中を開いてホイホイ読むというのは…」
「厳しい、か……」
呟きに頷きで返され、ティミラはため息を吐いた。
わずかの間、室内に沈黙が漂ったが――
「中、読めなくても……」
ふと、ポツリと漏らされた言葉の主に、全員が視線を向けた。
「……読めなくても、平気。多分」
傍の席に腰掛けていたシランは、その手を伸ばし双子から本を受け取り、ぺらぺらとページを開く。
最初の方は飛ばし、中盤あたりから何かを探すかのように視線を動かしながらどんどんめくっていく。
時々ある部分で手を止めるが、目当てのものと違うのかすぐに新しいページに移ってしまう。
シランの頭に顎を乗せ、そのしぐさを覗き込みながらティミラは聞いた。
「なぁに探してんだ?」
「ん〜?」
のんびりと間延びした答えでない返事をし、指先はさらにページをめくっていく。
残りはあと数十ページといったところ。
と、そこでシランが手を止めた。
ゆっくりと、一枚一枚ページを指先ではじいていく。
次々と開かれる紙面には、やはり読み取れない文字が並んでいるのだが。
――内容は関係無いのか?
速くは無いが、流れていくページ内の文字が読めるスピードではない。
何を探しているのか、再び聞こうと口を開きかけた瞬間、シランの指が止まった。
「あった」
シランは、重みを感じる頭を動かさずそのページを指差した。
それは挿絵の場所だった。
今までのページにも多少の絵はあったが、目にとまるほどの大きさのものは無かった。
けれど、今シランが開いているページは違う。
右側のページを一枚使って描かれている絵。
多少くすんではいるが色もついているもの。
指差されたページをちらっと視線だけで確認し、次の瞬間ティミラは息を呑んだ。
「……シラン、これって……」
そこに描かれていたのは女性。
ゆるいウェーブの髪に、穏やかな表情を浮かべた女性。
だが、ティミラが驚いたのはそこではなかった。
髪の色に施されているのは、今でこそくすんではいるが茶色よりはるかに薄いもの。
少し日焼けをしている紙面に、わずかに確認できる色彩。
そして、それと同じ色をしている髪と瞳。
「まさかこれ……金色、なのか……?」
ティミラの言葉に、シランは小さく頷いた。
「この本、文字は訳分かんないけど内容は燃やされてたのと同じだと思う。表紙とか内容の構成が似てるし、何より……」
挿絵のページをつまみ、シランは声のトーンを落とし呟いた。
「この絵が最後にあった……」
『…………………………』
ルージュもティミラも、ブルーもが思いを巡らせ口をつぐんだ。
「あたし自身、お母さんの顔をはっきり覚えてるわけじゃない……知ってるのは、親父の部屋にある写真ぐらい」
父に寄り添い、穏やかな笑顔を浮かべている母。
多いとは言えない写真の中には、乳飲み子の自分を抱えているものもあった。
母は良い人だったのだろう、記憶の奥に残っているイメージに悪いものはない。
思い起こして浮かび上がるのは、暖かいものばかりだ。
「死んじゃったけど、お母さんはあたしに唯一の物をくれた。あたしとお母さんが、親子だっていう証拠……」
他の他人には絶対にない、そしてこの世にも二つとしてないであろう瞳の色。
だから自分の瞳は好きだった。
とても大事な宝物でもあった。
「大好きだったから、色々お母さんの事が知りたかった。でも……」
それは幼い頃の記憶。
母が居ない分の寂しさを、母を知るということで埋めようとしたのか、シランは必要にアシュレイに詰め寄った事があった。
母が好きだった食べ物、好きだった場所、よく口にしていた言葉――
けれど一つだけどうしても分からないことがあった。
『んー、お母さんの昔かぁ?』
『うん。おかーさんはどこに住んでたの?』
『んー? 住んでた場所?』
『うん。あと、おかーさんのおかーさんとかはいないの?』
『おぉ、ばーちゃまかぁ……うーん……』
『……おとーさん?』
『ん、すまんなぁ。実は俺も聞いたことないんだ』
『?』
『俺もお母さんの昔の事、良く知らないんだ。すまんな。お前が知りたがるって分かってれば聞いたんだが……』
『おとーさんも知らないの?』
『うーん、知らないというか……俺が聞かなかっただけなんだがな、うん……』
『………………』
あの時は、なぜだろうと思った。
どうしてお母さんの昔を知らないのだろうと。
「今になれば、親父が聞かなかった理由も分からなくもないんだけどね」
おそらく父にとって過去など関係無かったのだ。
母――クリスが、クリスという一人の女性である事で十分だったのだろう。
でも、それでも一つだけ気がかりは残った。
――何故、母は何も告げずにいたのか。
告げたく無かったのか、必要が無かったのか。
もはや答えの聞くことは出来ない問。
そんな思いを少しだけ胸の奥に秘めて、毎日を過ごしていた。
いつも気にしていたわけではないが、忘れる事の無かった疑問。
それは、あの本を見つけた時に一気に膨れ上がった。
世界を二分した戦争。
地上を支配した天空人。
そんな彼らが持っていたのは、金色の瞳。
「……ただの偶然と思ったことは無いのか?」
ブルーの言葉に小さく頷く。
「最初はそうだと思ってた。だからみんなに話すのも、気が引けたというか……」
うつむきながら、指先で本に描かれた瞳をなぞる。
「だが偶然では無くなった」
新緑の髪を揺らし、頷く。
「それどころか、どうやら僕達にまで縁がありそうな感じで」
「オマケに“なぜか”金色の瞳を持っている奴まで居る始末か……」
それだけではない。
――今はまだ……
母と同じ髪と瞳を持った女性の言葉。
あの時、意識がはがされる感覚の中で聞こえた僅かな声。
この考えを確信にまで変える真実は、まだない。
けれど。
「今、世界で何かが起ころうとしてる……」
――もう抜け出す事も、逃げる事も出来ないのかもしれない。
「金色の瞳……」
誰もいない一室。
アシュレイは窓からグレンベルトの街並みを眺めながら呟いた。
そうだ、シランが言っていた通り。
そんな色彩の瞳は、娘と妻以外見たことがない。
聞いたことも、なかった。
黄土色や茶色でもない、独特の輝きと光を持つ色。
――黄昏の色。
初めて見たときから惹き付けられた、強い瞳。
それは無垢で、純粋で、そしてどこか儚かった。
そんな彼女がその内に抱えていたものは、終ぞ語られる事はなく――
「クリス……」
告げたくなかったのか、告げる必要がなかったのか。
そこまでは分からない。
彼女の考えを、今更しつこく掘り返しても意味がないし、したくもない。
今までを受け入れ、認め、納得するしかない。
『アッシュ』
音無き声が紡いだ我が名。
手に残る温もり。
「クリス…………」
「陛下、そろそろ出立しますがよろしいですか?」
開けっ放しのドアからかかった声に、アシュレイは「おぉ」とだけ返す。
一向に動こうとしない自分を叱咤しようとしたのか、リルナが室内に足を入れるのが分かった。
「何をなさっておいでなのですか? ボーっとして視線が動かせないのなら、頭を殴りましょうか?」
「おいおいおいおいリルナ!」
あまりに突拍子も無いボケのような本気に、アシュレイは思考を放り投げて全力でツッコミを入れた。
ふぅ、と不満気なため息を漏らすリルナにアシュレイはため息で返し、口を開く。
「ちょっと考え事してたんだよ」
そう言われては何も返せない。
今考える事はたくさんありすぎるのだ。
「何を?」などと無粋な事は聞けない。
「どれについてです?」
だから、こう聞いてみた。
実際自分自身も様々な事を考えていて、軽くパニックを起こしそうになっているのだ。
一人では、色々と勝手な想像をしてしまいそうだ。
もっとも――王という立場に居る彼は違うのかもしれないが。
「……いや、調べて欲しい事があって」
「調べ物、ですか?」
少し思っていたのと違う返答に、リルナは肩透かしを食らったような気持ちになった。
「ダルムヘルンについてですか?」
口に出しておいてなんだが、それは可笑しい。
何故なら数日前に見知った仲のメスティエーレに用を告げていたはずであって。
「いや、そこじゃなくてだな……」
それは想像していた答えだった。
けれど、次の単語はまったくもって思い当たりもしない、意外な物。
「レークヴィスト海域」
「は?」
らしくもない間抜けな声が出てるなと、他人事のようにリルナは思った。
「あの……レークヴィスト、ですか?」
「おう」
彼の返事の仕方からして間違いないだろう。
何かの勘違いでも、ないようだが。
「あの……レークヴィストって、レークヴィストですよね?」
「? おう、そうだが……?」
「あの……イルヴォール大陸とアルカナ大陸の間の海にある、あの海域のことですよね?」
「おう……って、リルナ。殴られる覚悟で言うが、頭大丈夫か?」
「殴るなど言わず、全力で術を放ってあげましょうか? 痛みを感じる間もなく木っ端微塵になれますが?」
「あぁ、いや遠慮しておくわ」
ちょびっと冗談に聞こえなかったリルナの言葉に、アシュレイは真顔で冷や汗を流しながら手を振った。
「……確認しておきたいのですが」
信じられないというニュアンスをモロに出し、リルナはアシュレイを見上げながら続けた。
「レークヴィストとは、大渦の生まれるというあの海域ですよね?」
その説明にアシュレイは大きく頷く。
イルヴォールとアルカナ、それぞれの大陸を結ぶ航路に存在する大渦の発生しやすい海域。
それが『レークヴィスト』と呼ばれる場所だ。
その名がつく場所が存在しているおかげで、今の航路は割と遠回りな物だと聞いたことがある。
誤って嵐などに巻き込まれ、そこに流され難破しかけた船は大量。
ヘタをすれば文字通り、海の藻屑と化す事もある危険な場所だ。
なのだが――
「申し訳ありませんが、陛下のご意向がまったくもって読めないのですが……」
現在考えるべき事とこの海域が何の繋がりがあるというのか、リルナには検討も付かない。
まさか「あの大渦も世界異変の前触れだ」などと、トンチンカンな事は言い出さないだろう。
「いや、うん。そうなんだがな……」
少し言葉を濁すように、アシュレイは口元に手を運び言葉を止める。
僅かに沈黙があったが、意を決するかのように息を吸い込み、アシュレイは言葉を続けた。
「エルフのお前に頼みたいんだ。あの海域……なんかないか?」
紡がれたニュアンスにリルナは眉を潜めた。
が、すぐに言わんとすることを察し、
「確かに。“私”も何も聞いたことがありません」
ふぃと、不敵な笑みを見せてみる。
「分かりました。そのご命令、承ります」
「そっか……悪ぃな……」
何を今更と笑うリルナに対し、アシュレイの顔色は良くない。
「陛下?」
「…………理由は、聞かないのか?」
小さな声でふっと吐き出されたのは、墓穴にも近いはずの言葉。
「その……気になんないのか?」
――あぁ、まただ。
この人間は変なところで他人を気遣う。
理由も無しに頼み事をして、申し訳ないなと思うのだ。
けれどそのクセに、最初に理由を言ったりは出来ない。
だから気にするのだ。
「相手」が理由を気にしているかどうか。
こういう部分だけは、昔と変わらず情けないと思ってしまう。
「陛下」
ため息交じりに呼ばれ、アシュレイはさらに気まずそうに苦笑いを浮かべた。
それにも大きなため息が出てしまう。
「聞かれたくないなら素直に言うべきなのです。『今は言えないけど』と。それで済むんですよ?」
「あぁ、うん……」
――まったく、人間とは変わる部分とそうでない部分があって良く分からない。
だからこそ達観した者だらけの村よりは新鮮味がある気がする。
「まかせなさいな、陛下」
そう言ってリルナは、胸に手を当て片目をつぶって見せた。
「エルフの知識力、その目に焼き付けると良いですよ」
そんな力強い後押しにも聞こえる口調に、アシュレイは頷いて、
「おう、頼りにしてる」
それは、彼の中で最上級に分類される褒め言葉だった。
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